鳥海山大物忌神社は鳥海山を御神体と仰ぐ出羽国の一之宮として鎮座し、山頂の本社と里宮である吹浦口之宮と蕨岡口之宮の三社から成り立っています。
鳥海山は他の修験の山と同様多くの変遷を経て、神社の祭神もまた国家の守護神から農耕神などと、時代と共に様々な姿へ変化して今に至っています。
今回の旅では本社と蕨岡口之宮には行けませんでしたが、吹浦口之宮に立ち寄る事が出来たので、吹浦口之宮の様子と大物忌神社の信仰についてお伝えしたいと思います。
鳥海山大物忌神社のアクセス
電車の場合はJR羽越本線「吹浦駅」より、徒歩7分
車の場合は日本海東北自動車道「酒田みなとIC」より、国道7号を秋田方面に走り20分程
大物忌神とは
鳥海山大物忌神社の御祭神は神社名になっている大物忌神が祀られています。
この物忌とは、ある一定の期間不吉な出来事や不浄を避けるために忌み慎むことであり、また、神霊を迎え神祭りに関わる人が心身を清浄し、穢れに触れる事を避けることも物忌と言われています。
つまり、あらゆる災厄や不浄から身を守る行為を物忌とされています。
鳥海山は古代より噴火の絶えない山で、元々は噴火の絶えない山の脅威を鎮める為に祈られてきた山であり、やがて鳥海山の噴火は先住の蝦夷たちの反乱の前兆を知らせると信じられるようになった為に朝廷からの信仰も篤く、十世紀頃まで大物忌神は国家の守護神として崇敬されました。
しかし、麓に暮らす人々にとって鳥海山は清らかな水や豊かな自然を与えてくれる自然神と見なし、神仏習合以降は農耕神としての性質を持ち、更に倉稲御魂神(稲荷神)と同神とされ、現在の大物忌神は農業をはじめ、衣食住の守護神としての性質を持っています。
鳥海山の名前の由来
鳥海山の名前の由来ははっきりと分かっておらず、鳥海山の火口湖である鳥ノ海に因むとされていますが、その他にも様々な説があります
山名に鳥という文字が使われていますが、そもそも、鳥は古来よりあの世とこの世を行き来すると信じられ、特に渡り鳥は一定の期間滞在し、そしてまた一定の時季を迎えると去るために、死の国からやってきたと日本人は考えていたそうです。
ちょうど鳥海山のすぐ目の前には日本海という大海原が広がり、また、鳥海山山麓は古くから葬送の地でもあったと伝えられていたそうで、
鳥海山に集まった死者の魂を鳥たちが海の彼方にある死の国へ運んでくれると信じた為に鳥海山と名付けられたと想像する事も可能ではないかと思われます。
余談ですが、鳥が死の国の使者である具体例はやはり、記紀神話のヤマトタケルでしょうか。
神話ではヤマトタケルの死後、大きな白鳥となって最後は飛び去ってしまったと語られています。
また、これと似た物語といえば(ラストシーンだけ)恐らく中学校で習った方も多いのではないかと思われる空中ブランコ乗りのキキという物語が挙げられます。
この物語の最後も、主人公の空中ブランコ乗りであるキキは前人未到の四回宙返りを成功させましたが、その後キキの姿はどこにも見当たらず、翌朝サーカスのテントの天上に白い大きな鳥が止まっているのが発見され、鳥は悲しそうに鳴きながら海の方へ飛んで行ったと語られています。
どちらの物語も死後は鳥となり、魂は鳥によって運ばれる様子が描かれています。
鳥海山大物忌神社の境内の様子
長々とお話しましたが、ここで境内の様子をお伝えします。
鳥居をくぐると右手に社務所、右奥には下拝殿があり、石段を登ると本殿が見えます。
下拝殿
本殿が長い石段の上にあるため、登らなくても参拝する事の出来る有難い拝殿です。
石段
下拝殿の横から本殿に上がる石段が続きます。
拝殿
登りきるとすぐ目の前に拝殿が現れます。
木々に囲まれ、ひっそりとした中に建てられています。
本殿
本殿は大物忌神を祀る本殿と月山神を祀る月山神社本殿の二つに分かれています。
(手前が摂社の月山神社本殿、奥が大物忌神社本殿)
明治の神仏分離以前は吹浦口も神宮寺と一体として鳥海修験の拠点となっており、その神宮寺には大物忌神の本地仏である薬師如来と月山の本地仏である阿弥陀如来が安置されていたそうです。
しかし、神仏分離に伴い神宮寺は消失し、現在は神社のみ存続する中、神宮寺の名残であろうか大物忌神と月山神の二柱が本殿に祀られています。
また、月山神が祀られている社殿は摂社扱いにされているにもかかわらず、大物忌神が祀られている本殿とほぼ同じ大きさになっている事に気づくと思います。
恐らく神仏習合時代、大物忌神社は月山や羽黒山の修験と深く関わりながら栄えていった為に本殿の大きさも揃えたのではないかと思われます。
末社
本殿のすぐ隣には末社の雷電神社と白山姫神社が鎮座しています。
その他、石段下のも末社があります。
境外末社の丸池様
鳥海山大物忌神社には境外に丸池様という末社があります。
瑠璃色に輝く丸池様はとても神秘的で、神社からそれほど遠くないので、
ぜひ、行かれる事をおすすめします。
まとめ
大物忌神は太古から噴火の絶えない山であり当初は噴火を鎮める為に祈られ、また麓に水や食料をもたらす純粋な自然神として信仰されました。
また、一時的ではありましたが、蝦夷の反乱を知らせる防衛的な機能を備えた国家の守護神として信仰され、神仏習合時代には鳥海修験の拠点としても栄え、再び自然神へ戻るなど多くの変遷を経て今に至っています。
本殿は長い石段の上にありますが、石段を登らず石段下の下拝殿でも参拝が可能となっているので、気軽に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。