令和初の登山である伊吹山を登り終え、その後はいつものように周辺の観光地を見学、散策を行いました。
今回の山旅も日帰りという事で、岐阜から神奈川までその日に帰らなくてはならない為、慌ただしい旅となりましたが伊吹山を訪れたからにはぜひ、さざれ石公園に立ち寄らなければ!と考えていたので、滞在予定時間ギリギリで見学する事になりました。
国歌「君が代」の歌詞に出てくるさざれ石とは何か、どんな意味が込められているのかを説明しながら、君が代発祥の地であるさざれ石公園の様子をお伝えしたいと思います。
- さざれ石とは何か?
- 国歌君が代に登場するさざれ石と君が代の歌詞の意味
- さざれ石公園までの道のり
- 国歌「君が代」に登場するさざれ石の様子
- 道路沿いにもさざれ石!?
- 最後に
- さざれ石公園の場所、アクセス、駐車場
さざれ石とは何か?
さざれ石は国歌君が代の歌詞に登場する石の名前であり、学校の入学式や卒業式、あるいはスポーツの国際試合などで歌われ、国民のほとんどがその名前を知っていると思いますが、どのような石である事はあまり知られていないと思います。
実を言うとさざれ石とは通称であって、実際は石灰角礫岩という名前が付けられています。
伊吹山は約3億年前に海底噴火により始まり、海の生物の死骸が徐々に堆積した事から石灰岩質の山となり、そのまま隆起して今の形になったそうです。
このような地質から伊吹山は石灰岩が採掘される山として有名となり、西側を望むと白い山肌が確認できるほど石灰岩で覆われている山である事が分かると思います。
そして、この石灰岩が崩れ伊吹山から流れる流水により運ばれ、れき状の石灰岩が再び凝結して出来た事から、石灰角礫岩と名付けられています。
つまり、さざれ石とは細かい石が凝結してできた堆積岩の一種となります。
国歌君が代に登場するさざれ石と君が代の歌詞の意味
さて、さざれ石は科学的には細かい石が合わさってできた堆積岩のカテゴリーに過ぎない存在でありますが、国歌「君が代」に登場するさざれ石は大変おめでたい石としての意味が込められ、更に重要な役割も果たしています。
さざれ石の伝承
さざれ石は君が代の歌の中に登場する石の名前ですが、このさざれ石は平安朝時代、一人の歌人によって詠まれた歌に登場します。
その歌人は文徳天皇(ご在位850~858)の皇子惟喬親王に仕えていた藤原朝臣石位左衛門という人物で、お椀やお盆を製作する事を生業とし、良い材料を求める為に江州(滋賀)君ヶ畑から美濃の春日村に移り住みました。
ある日、石位左衛門は江州の君ヶ畑へ向かう途中の渓流で石が凝結し苔のむす巨岩を見て、これは素晴らしい、めでたい石だ!と感動し、「わが君は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて苔のむすまで」と詠まれたそうです。
後にこの歌は「古今和歌集」の選者の一人である紀貫之によって選んだとされ、巻第七「賀歌」の冒頭に読人知らずとして登場します。
このように、さざれ石は石位左衛門がたまたま通りかかった所で見つけ、感動した事により、歌の中でその魅力を伝えられたのではないかと思われます。
そしてこの歌が千年以上の時を経て日本の国歌「君が代」として国民に歌われるようになり、多くの方にさざれ石という言葉が認識されるようになりました。
そう考えると、石位左衛門は国歌の元となる歌を作り上げたという偉業を成した人物ではないかと思われます。
ちなみに、石位左衛門という名前はこの歌によって朝廷から位を賜った以降に名乗った名前であるので、詠った当初の名前は分からず、古今和歌集には読み人知らずとして載せられたそうです。
国歌「君が代」の歌詞に込められた思いとは?
石位左衛門がさざれ石を発見した事により、「君が代」の元となる歌が詠われ、更にその歌が評価された事で古今和歌集に載り、時代を越え幅広く詠われたそうです。
それでは、石位左衛門がさざれ石に感動し、その場で詠われた歌を見てみましょう。
「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
実は歌い出しは君が代ではなく、わが君はという出だしになっています。
この歌の意味は、私のご主人さまの命がいつまでも長く続き、小石が寄り添って大きな岩となり苔が生えるまで健やかにいられますようにと、目上の人の長寿を祝う歌です。
元々はわが君という限定的な意味の歌でしたが、後にわが君から”君が代”と改められるようになり、この”君が代”とは尊敬するあなたさまの生涯を意味し、わが君よりも君が代の方がより尊敬する人の長寿を願うのに相応しいとのことで、改めたそうです。
鎌倉時代以降も様々な行事や歌謡などに取り入れたり、身分にとらわれずあらゆる人から親しまれ、時代を越えても常に親しまれる歌として歌い継がれるようになりました。
ここで、君が代の君とは何を表すのか考えてみましょう。
先ほど書いたように、この歌は紀貫之によって選ばれた歌であり、紀貫之は君の部分を醍醐天皇に重ねて詠まれ、この歌を選んだとされています。
わが君から君が代に改められた事で、尊敬する人や敬うべき人への思いを込める歌となり、我が国に於いて常に敬うべき存在はやはり天皇だと思われます。
天皇陛下はご存知の通り、初代から今に至るまで126代絶えることなく続き、災害や飢饉が起これば私心なく常に国民に寄り添い、国民の幸せや国の安泰を祈られる姿に誰もが感動し、皇室こそが日本人の理想像だとどの時代にも思われたのではないでしょうか。
そのような経緯から君が代の尊敬するあなたさまの生涯とは必然的に日本国の象徴である天皇を指す事になります。
ここで今一度君が代の歌詞を見ると、
「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔の生すまで」
つまり、日本国の象徴である天皇陛下がいつまでも長く続き、小さな石が寄り添ってやがて大きな石となり、それに苔が生えるまで末永く栄え平和が続きますようにという意味になります。
先ほど説明した通り天皇陛下は私利私欲ではなく、常に国民を思い、日本が平和で国民が幸せでありますようにと祈り続けてこられた存在である為、天皇陛下のご長寿並びに皇室の繁栄は同時に国の繁栄と国民の幸せを意味し、この君が代は天皇と国民が一体になって末永く幸せであり続けましょうという意味となり、さざれ石の立派な姿からこのような考えが生まれたのではないかと思われます。
そして、この歌の更に素晴らしい事は、元の歌であるわが君の作者が読み人知らずという事で誰が作ったのか分からない歌にも関わらず、千年以上様々な場所で身分にとらわれず愛され、作者不明のまま日本の国歌として選ばれた事です。
国歌というと、身分の高い方が作られたイメージですが、我が国の国歌は誰が作ったのか分からず、しかも読み人知らずという身分の低い方が作られた歌が日本を代表とする国歌とされた事は、いかに日本において人間は皆平等であるという精神がこの歌から読みとれるのではないでしょうか。
さざれ石公園までの道のり
前置きが長くなってしまいましたが、ここでさざれ石公園の様子をお伝えしたいと思います。
入口付近は整備されて歩きやすくなっており、さざれ石まで200mと書かれていたのでそこまで時間はかからないと思います。(駐車場のすぐ横が入口です)
鬱蒼とした木々の中を歩く予感がします。
そして、手前には杖が用意されている事からここから先は恐らく登り道になるのではないかと思います。
せっかくなので私は杖を持って登りました!


階段状になっていますが道は綺麗に整備されているので比較的歩きやすい道になっています。
駐車場からさざれ石公園までにはこのような幟がいくつも掲げられていますので、
まず道に迷う事は無いと思います。
途中の分岐点で登山道の案内がありますが、そちらには行かないように。
途中にはさざれ石の家という建物があります。
休憩所のような感じでしたが中には入れませんでした。
ちなみに外にはトイレが付いていて、ここはいつでも利用可能みたいです。
さざれ石の家の前は広く、川の近くにはテーブルとベンチが設置され、地面には無数の苔が生えています。
やはりこれも君が代を意識されてこのような広場にしたのでしょうか。
国歌「君が代」に登場するさざれ石の様子
そして遂に、国歌君が代発祥の地の石碑が建てられた広場に到着します。
このさざれ石は昭和52年に春日村の天然記念物になり、更に同年には岐阜県の天然記念物に指定されたそうです。
石碑には中曽根康弘首相の名前が刻まれています。
隣の看板には献上された方々の名前が刻まれています。
主に昭和時代に献上されたそうですね。
さて、国歌「君が代」に登場するさざれ石をじっくり見てみましょう。
さざれ石はご覧の通り小さな石から大きな石が集合し、姿形の違う石同士がまるで仲良く寄り添って一つの大きな岩へと成す姿に圧倒せれるばかりです。
また、さざれ石には注連縄が張られ、更に神々しさが増します。
裏に周ってみました。
裏も巨岩から小石までびっしりと集結しています。
また、さざれ石には無数の苔が生え、尚且つ石のあちこち植物も生えています。
石の上にも関わらず、必死に生きようとする植物も見られます。
君が代の歌詞に苔のむすまでとありますが、”むす”とは生まれるという意味で、ちょうど歌の終わりに来る言葉であり、実はこの”むす”という言葉には深い意味が込められ、しかも神道においても重要な意味を成しています。
古事記によると世界は一人の神によって作られたのではなく、混沌とした状況からいきなり天と地が分かれ世界が始まったと語られています。そしてその後は次々に神が自然に生まれ、最後にイザナギとイザナミが生まれ、そこから先はこの二柱により国生み神生みの物語に進んでいきます。
特に最初に現れた天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神は造化三神と言われる特別な、重要な神として位置付けられています。
その中でも高御産巣日神と神産巣日神の産巣日(むすひ)という言葉が重要で、これは万物生成の力(すべてのものを生む)を意味し、日本神話において国土や神は全て作られたのではなく、生みだされたという表現で書かれているほど産巣日(むすひ)を司るこの二柱は重要な神と言えます。
日本神話は国土や神を生み、神から神へそして神から人へと命を継承する事が語られ、キリストのように人は罪を背負いながら生まれてくる事や仏教のように死後、極楽浄土の世界へ行く為に修行をするという重苦しい世界観ではなく、新たに生まれてきた命を純粋に喜び、親から子へ子から子孫へ命を繋いでいき、この世が永遠に繁栄する事を何より大切にし、喜ばしい事であると読みとれるのではないかと思われます。
これは、生まれては死に、また生まれては死にという自然の理を理解し、自然と共に生きる事を行ってきた日本人ならではの考えが込められています。
苔のむすまでは先ほど説明した通り、末永く平和で子孫も繁栄しますようにという意味で、自然と共に在り、自然と調和しながら生きてきた日本人だからこそ、この光景を見てこのような歌詞が生まれ、それはつまり、神道の本質と言っても過言ではないと思われます。
熱く語りましたが、もう一つご理解頂きたい事があります。
さざれ石の部分を歌う時に耳を傾けると、さ~ざ~れ~、い~し~の~♪っと、さざれと石を区切って歌う人が多く見られますが、私個人的にはここの部分はぜひ一呼吸で歌ってほしいと思っています。
最初の方で説明したように、さざれ石は大きさの異なる小石が互いに寄り添って一つの大きな石へ姿を変え、天皇と国民が一体となって歩んでいく様子を表しているおめでたい石であります。
なので、いつもこの部分を歌う時気になっていたので、なるべく“さざれ石”の部分は一呼吸で、さ~ざ~れ~い~し~の~♪と歌った方が望ましいと考えています。
道路沿いにもさざれ石!?
さざれ石公園へ向かう途中には気づきませんでしたが、道路にはご覧の通りさざれ石が置かれていました。
どれも立派で、苔が生えているさざれ石もあり、まさにさざれ石の産地という雰囲気が漂います。
ちなみにこのさざれ石は販売もされているそうです。


民家の前にもさざれ石が置かれています。
この集落に住んでいる人々にとっては当り前な光景でしょうか?
最後に
「君が代」はたった27文字しかない世界一短い国歌でありますが、その短い歌詞の中に国民が一つになり、末永い平和や子孫繁栄を祈られた、まさに日本国そのものを表した歌であります。
その中で、さざれ石は科学的には単なる堆積岩に過ぎませんが、大小様々な形の石が寄り添い、長い年月をかけて苔や草が生きようとする姿を見て、国や人々の繁栄をこのような自然現象から読みとる姿はまさに、日本人の素晴らしい美徳だと思います。
また、良い歌は時代を越えて人の心に感銘を与え続けるように、「君が代」も千年以上の時を越え今や日本の国歌として歌い続けているので、国歌「君が代」を歌う際には歌詞の意味をしっかりと理解した上で歌った方が望ましいと思います。
さざれ石公園でさざれ石を見られた時にはぜひ、その素晴らしい姿を感じ取ってみてはいかがでしょうか。
さざれ石公園の場所、アクセス、駐車場
アクセス
名神高速大垣ICより国道417、32、257号を経て到着
さざれ石公園に近づくにつれ道が狭くなるので注意が必要です。
所々案内看板や幟があるので、それに従って下さい。
住所:岐阜県揖斐郡揖斐川町春日
詳しくは揖斐川町ホームページをご覧ください。
駐車場
さざれ石公園入口の前に広い駐車スペースがあります。
駐車スペースにはトイレも完備されています。