素晴らしき日本の景色たち

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立石寺|裏の高野山とも呼ばれた東北屈指の仏の山、山寺を紹介します!

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秋の訪れを肌で感じる9月の中頃、二連休の最終日に山形県の古刹である山寺こと立石寺を訪れました。

正式名所は宝珠山立石寺と呼びますが、寺の案内図を見ると山全体にまんべんなく堂が建てられているので、通称「山寺」とも呼ばれています。

中世以降は死者の歯や遺骨を納め供養する霊地へ変化し、更に松尾芭蕉が訪れた際に「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んだことから幅広く知られるようになりました。

巨岩による自然崇拝から修験道、先祖供養と時代と共に変化し、途中宗派が変わる事もあったそうですが、最終的には天台宗の霊場として治まり、多くの仏の集まる霊山から東北の高野山、またの名を「裏の高野」とも呼ばれるほど霊験あらたかな場所です。

今回はこの東北の高野山こと立石寺を訪れ、登山口から山頂の奥の院までの様々な歴史の跡を辿りましたので、早速紹介したいと思います。

立石寺のアクセス、駐車場

アクセス

 

山形自動車道山形北ICから車で約15分

公共交通機関の場合はJR仙山線山寺駅から徒歩3分

【公式サイト】

www.rissyakuji.jp

駐車場

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立石寺専用の無料駐車場は無く、山寺駅周辺の有料駐車場をご利用ください。

料金は1日300円~500円程度で、お店によっては~円以上お買い上げの方は無料など様々なので、事前にどこに停めるか目処をつけた方がよいかもしれません。

登山口から本堂周辺

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山寺全体マップです。

ご覧の通り山全体にお堂や行場が点在していますね。

麓から最後の奥の院までは1000段以上の階段を登らなければならない、まさに登山そのものです。

なので入口が登り口、帰りが下山口になっています。

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ちなみにこれが実際の山です。

山肌には巨大な岩が生えるている様子が確認できます。

よく見ると岩にお堂が建てられているのも分かりますね。正面の少し右が恐らく展望所である五大堂。右端にあるのが胎内堂でしょうか?

いずれにせよ、よくあんな崖っぷちに建てたものだと登る前から感心している…

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石で作られた巨大な標識から登りますが、入口ではなく登山口と書かれていますね。

やはり山寺なのでこのような表現なのでしょうか?

しかも、登山口には奥の院まで1000段!と書かれた看板もあり、登山が苦手な人にはちょっと辛い一言ですね…

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階段を登った先には立派な本堂があります。

建物全体が大きく、中に何人も入れるほどの広さを誇る道場のようになっています。

ブナの木で造られた建物で、ブナ材の建造物では最古と言われ、国指定重要文化財に選ばれています。

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本堂のすぐ近くに日枝神社があります。

日枝神社の神は滋賀県の日吉大社の神であり、元々は地主神として信仰されていましたが、最澄が比叡山に天台宗を開いた後は天台宗の護法神、比叡山の守護神として位置づけられました。

なので、この日枝神社も山寺の守り神として鎮座されたお社であり、立石寺は天台宗の寺という事が理解できます。

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日枝神社と山門の間に念仏堂があります。

立石寺には夜行念仏という民俗芸能が伝わってますが、この念仏は開山である慈覚大師円仁が唐から密教を授かった際に持ち帰ったそうで、現在も夜から朝にかけて立石寺内で行われています。

現在は僧侶ではなく、二つの講のみが活動し、主に先祖供養と言ったお盆の行事として行われているそうです。

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さて、本格的な登りが始まる山門前には茶屋とお土産屋さんがあります。

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ここでは山形名物の玉こんにゃくが売られています。

串にささった玉こんにゃくは力こんにゃくと言われ、これから奥の院まで登るのに腹ごしらえをしましょう!

味がしっかりしみ込んで、歯ごたえのあるこんにゃくでした!

山の中腹には夥しい数の磨崖供養碑

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山門に到着しました。

ここから奥の院まで900段以上もの階段を登らなければなりませんので、気を引き締めて参りましょう。

巡拝料はここで払います。

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山門から先は雰囲気が変わり、いかにも登山を行っているような感覚になります。

ここは修行者の参道と呼ばれ、かつては多くの行者たちが登っていた道ですが、危険箇所は無く、むしろ山寺の美しい自然や荒々しい奇岩、怪岩を肌で感じる事が出来、誰でも受け入れてくれる清々しい登山道です。

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一つ前の写真にも写っていますが、行者の参道には巨岩に何やら板状に掘られ、更に文字が書かれているのに気づくと思います。

これは立石寺特有の石造文化財で、「磨崖供養碑」と呼ばれています。

主に参道に集中していますが、奥の院や山頂周辺にも供養碑が確認できます。

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山門から仁王門にかけての参道に集中する磨崖供養碑は約1200基存在し、その夥しい数の供養碑に圧倒されますが、この磨崖供養碑こそ立石寺の魅力の一つだと思います。

この磨崖供養碑の歴史は意外にも短く、古くても近世期に造られたそうです。

立石寺は天台宗の霊場から始まりその後納骨が開始され、納骨信仰が発展し、最後に磨崖供養碑による霊魂の供養施設として著しく変化したものの、いずれにせよ死者や先祖の供養を行うための霊場である事は間違いないです。

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この磨崖供養碑には主に戒名や没年が書かれ、位牌のような役割を果たし、中には地名や人名、更に一つの供養碑に複数の名前が刻まれていたりと様々な形式が見られます。

無数に並べられ大小様々な磨崖供養碑に圧倒される中、私はふと、以前御嶽山で見た霊神碑に似ているなと思いました。

御嶽山を訪れた方はお目にかかったと思いますが、登山口へ向かう途中、目を疑うほど多くの石碑が並んでいます。

これらは霊神碑といい、亡くなった御嶽行者の霊を神として祭り、石碑には亡くなった人の名前が書かれるそうです。

死後は御嶽山に戻るという信仰からこのような形となりましたが、古来より日本人は山は死霊や祖先が住む場所と信じられてきたので、このような信仰の形は必然だと思われます。

立石寺と御嶽山は全くの別物ですが、このような共通認識が伺えます。

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階段を上がる度に様々な磨崖供養碑が見られますが、仁王門前の弥陀洞に掘られている磨崖供養碑が一番の見どころです。

弥陀洞の弥陀は阿弥陀如来のことで、仏の姿み見える人は幸せになると書かれていました。

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改めて眺めると、行者の参道の中でもずば抜けて大きな岩で、そこに掘られた供養碑もとんでもない大きさになっています。

現在は磨崖供養碑は掘られていませんが、弥陀洞の前には多くのお塔婆が置かれている事から何らかの供養は行われているそうです。

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お塔婆には主に戒名が書かれていますが、何気なく眺めていたら~大人命と書かれたお塔婆を発見しました。

この表記は仏式ではなく神道の葬儀で行われた方の名前で、神道の葬儀(神葬祭)では亡くなった方は仏式のような戒名は無く、生前の名前の後ろに~大人命や女性の場合は~刀自命と書かれます。

神道では神と人は一体という考えから、亡くなった後は神として祭られ、子孫を見守る守り神へと変化し、名前もそのまま引き継がれる存在となります。

果たしてこの方は亡くなった後、立石寺で供養されたいと願ったかは分かりませんが、死後は自然と一体となり子孫を見守るという純粋な日本人の習俗というか風習を垣間見れたような気がしました。

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さて、様々な磨崖供養碑群を越え、仁王門の一歩手前を見上げると、山肌にはまるで削られたような岩穴が点在しています。

先ほどの磨崖供養碑という供養が行われる前は納骨による供養が行われており、岩穴の至る所に骨が納めてあるそうです。

そう考えると山全体が墓場のように感じて少し恐ろしい気もしますが…

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先に進んでしまいましたが、弥陀洞の手前にせみ塚という石の塚があります。

松尾芭蕉は立石寺にも訪れたそうで、その際にあの有名な「閑さや岩にしみ入る蝉の声

」の句を詠んだそうです。

芭蕉が訪れた時は夏真っ盛りで、山寺には多くの蝉のが鳴いていた事が想像できますね。

そしてちょうど修行者の参道を歩き、この自然と巨岩や奇岩に心を惹かれ、騒がしい蝉の声も聞こえなくなるほど自分の身が自然に溶け込んでいく境地に至り、そこで静を感じてこの句を詠んだのでしょう。

展望の良い山頂付近のお堂

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修行者の道の最後に仁王門が建てられています。

左右に仁王尊像が置かれ、邪心を持つ者は登ってはいけないと常に見張っているそうです…

ここから先は奥の院があるので、よほど警戒しているのでしょうね。

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さて、邪心が無い事を証明されたので先に進みましょう!

仁王門を過ぎると、奥の院方面と開山堂方面に分かれますが、先に奥の院へ進みましょう。

奥の院は仁王門から一直線の階段を登ると到着します。

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その階段沿いにはお堂ではなく支院が立ち並び、多くの僧が修行に励んでいたそうです。江戸時代には今より多くの支院があったそうです。

確かに堂宇ではなく、住居のように見えますね。

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ちなみに、支院から本堂方面ではなく、崖の方は修行者のみが入れる岩場になっています。

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遠くから眺めるとご覧の様な崖っぷちにお堂が建てられているのが確認できます。名前も胎内くぐりや地獄谷など、修験の雰囲気を思わせる名前になっています。恐らくこの場でも一時期修験道の活動が盛んだったのではないかと思われますね。

しかし、個人的にはあの崖コースを渡ってみたい!というか行きたくてしょうがないんだが…

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支院を越えるとようやく最奥の奥の院に到着します。

約1000段の階段を登り、ここまで来ると達成感を感じられます。

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その奥の院がこちら

奥の院は二つに分かれ、左側が大仏殿、右側が如法堂でこちらが奥の院と呼ばれています。

奥の院は明治5年に再建され、意外にも新しいお堂です。

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写真は撮れませんでしたが、大仏殿の中には供養絵馬という絵馬が奉納されていました。

供養絵馬とは亡くなられた方を供養するために寺院に納めた絵馬の事です。

絵馬には故人が描かれ、生前好んだ趣味や遊び、仕事の様子が描かれ、死後の世界でも楽しく過ごしてほしいという祈りが込められた温かい絵馬です。

また、絵馬には戒名や没年月日なども記入されているのも特徴です。

供養絵馬は岩手県から始まったとされ、特に遠野地方では数多くの供養絵馬が確認されているそうです。

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立石寺にも供養絵馬が奉納されている事は、岩手県から伝わったものだと思われますね。しかし、ここの供養絵馬を見てみると、婚礼の様子を描いている絵馬が多く、生前叶えられなかった婚礼を描くことで、あの世でも幸せになってほしいという思いが込められた絵馬であると思います。

以前遠野を訪れた時にこの供養絵馬の存在を知り、絵馬にもこのような使い方があるんだなぁと、感慨深い気持ちになりました。

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奥の院から次は展望の素晴らしい開山堂、五大堂へ向かいましょう。

奥の院から開山堂へ続く道の途中に、記念殿という建物があります。

これは明治41年9月18日に当時皇太子であった大正天皇が行啓された時に御休憩なされた建物で、山寺を後にする時に「もう一度来てみたい」というお言葉を残した事から、山寺の知名度が上がり、名勝にまで指定されるようになったそうです。

そのため、この建物は行啓山寺記念殿という名前になっています。

しかし、中には入れず外から眺めるだけになっています。

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記念堂から開山堂の間に、山寺の有名なあの光景に出会います。

まぁなんとも絵になる光景ですな~

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ちなみに手前に少し色付いた紅葉があったので、いい感じに撮れました!

まだ9月の半ばを過ぎた頃なのに、もう紅葉が始まっているんですね。

東北の秋は本当に早い。

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開山堂に到着

開山堂とはその名の通り、この立石寺を開いた慈覚大師のお堂で、煌びやかさは無く、質素な造りのお堂です。中には慈覚大師の像が安置されています。

慈覚大師が立石寺のどこで生活していたのかは分かりませんが、立石寺から少し離れた垂水遺跡という所に修行宿跡があり、本当はそちらが山寺ではないかという説もあるそうです。

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その開山堂の隣の断崖絶壁に建てられたお堂は納経堂で、読んで字のごとく、お経を納める為のお堂です。

このお堂は立石寺の中でも一番古い建造物で、納経堂が建てられている巨岩の真下は慈覚大師の遺骨を納めた入定窟になっています。

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下から眺めるとこんな感じ

天に突き上がる百丈岩の上に納経堂が建てられている事が分かります。

しかし、入定窟はどこでしょうか?

この百丈岩の上部にあるそうなんですが、洞窟らしいものは見当たりませんでした…

まぁ見つけたとしても、最も神聖な場所なので、絶対に近づいてはならないそうですよ。

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さて、開山堂の更に上部には最高の展望が期待される五大堂があります。

抜群の展望所には五大明王が祀られ、天下泰平を祈る道場になっています。

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中はこんな感じ

狭くもなく、広くもないちょうどいい空間となり、雄大な展望を楽しめるお堂になっています。

かつては僧たちがこの絶景を仰ぎながら祈りを捧げていたのであろう。

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景色は山寺の門前町が一望でき、奥深い山々を眺める事ができます。

大正天皇もこの山寺からの絶景を眺め、深く感動なされたと思います。

ちなみに私が訪れたのは9月16日で、大正天皇が訪れた日と2日違いでした!

つまり、限りなく大正天皇が眺めた光景に近いという事になります。

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特に有名な山や建物が見える訳でもありませんが、奥深い山に寄り添うように集落や町が形成された光景を眺めると何故か心が落ち着きます。

これぞまさに日本の風景ですね。

下山後は山寺周辺の門前町を散策しよう

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時代と共に山寺が栄えるのと同時に麓も門前町として栄え、多くの観光客が招かれるようになりました。

山寺周辺には茶屋やお食事処、お土産屋さんが豊富で、山寺駅から立石寺登山口までの間に多数のお店が立ち並んでいます。

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中には古い趣のある建物や少し足を延ばせば博物館などがあり、下山後も様々な楽しみ方が待っています。

山寺周辺のイベントや詳しい情報はこちらをご覧ください

www.yamaderakankou.com

最後に

いかがでしょうか。

山寺と呼ばれている立石寺は、まさに山に沿う形でお堂が立ち並び、標高はそこまで高くないものの、1000段の階段を登りながら霊場を感じられるお寺だと思います。

山中には多くの巨岩、怪岩などの奇景や磨崖供養碑という山寺ならではの信仰形式が見られ、山寺がこれまで歩んできた歴史や自然美を感じながら入山する事をおすすめします。

山寺は山奥のお寺ですが麓は門前町として賑わい、下山後はゆっくり散策してみるのもよいかと思うので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。