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【日吉大社の奥宮】八王子山山頂に位置する牛尾宮、三宮宮と琵琶湖の絶景を紹介!

まだまだ寒い2月は毎年京都の伏見稲荷大社を参拝し、京都の旅を満喫しています。

それと同時にお隣の滋賀県に位置する日吉大社も毎年の如く参拝していますが、今年は行程を変更したために、日吉大社の奥宮である八王子山にも訪れる事ができました。

八王子山はご存知の方もいると思いますが、日吉大社の東本宮の後ろに聳える標高381mの綺麗な形を成す山で、正面の鳥居を潜るとその堂々たる姿に目を奪われるほど存在感があります。

日吉大社は主に東本宮と西本宮そして八王子山の牛尾宮、三宮宮に分かれ、それぞれ創建や歴史も異なります。

恐らく日吉大社を訪れる方の多くは東、西本宮のみ参拝し、麓には牛尾宮、三宮宮の遥拝所が設けられているので、山の上にある牛尾宮、三宮宮まで行かれる方はそれほど多くないと思います。

私自身も日吉大社を訪れる時は時間の都合上、八王子山は登らず、麓の遥拝所から山頂を拝む形になっています。

今年はプランを変えた為に少し時間にも余裕ができ、せっかくなので麓から登山道を歩き、山岳信仰特有の懸造を成す牛尾宮、三宮宮を間近に参拝する事ができ、更に山頂からの素晴らしい琵琶湖ビューを眺められたので、神仏習合の面影を感じる牛尾宮と三宮宮の様子と素晴らしい絶景をお伝えしたいと思います。

日吉大社とは

日吉大社は比叡山の麓に鎮座し、創建は不明だが、古事記には大山咋神は「日枝の山に坐す」と記され、古墳時代から八王子山を神体山と仰ぎ崇敬されていた事から始まっています。

やがて現在の東本宮付近に里宮が形成され、更に天智天皇によって国家鎮護の神として三輪山の神である大己貴神を西本宮の地に勧請し、地主神を祀る東本宮と国家鎮護の神を祀る西本宮の二つの社が鎮座されました。

その後、最澄により天台宗の総本山である延暦寺が開かれ、ちょうど平安京の鬼門に位置する比叡山は平安京鎮護の役割を果たし、それに伴い日吉の神々は延暦寺の護法神となり、後に神仏習合へと発展し、延暦寺と一体として歴史を歩んで行きました。

しかし、明治時代を迎え、神仏分離令により延暦寺と日吉社は寺院と神社として分離され、日吉社は日吉大社と改められ、東本宮、西本宮、そして八王子山を取り囲む境内を有する神社へと変化しました。

日吉信仰の源流である八王子山

さて、サクッと日吉大社の変遷を記しましたが、改めて八王子山の全貌を眺めると秀麗な形の山である事がわかります。

鳥居を潜り、受付までの道からもご覧の通り存在感のある風貌を成しています。

よーく見ると山頂付近には社殿がみえ、右が牛尾宮、左が少し隠れていますが三宮宮ですね。その真ん中には磐座である金大厳も僅かに確認できます。

先ほど述べたように八王子山は日吉大社と延暦寺が開かれる以前から神体山として崇敬され、その証拠に麓には古墳が多数発見され、八王子山を中心に何らかの信仰があった事がわかります。

このような山を信仰の対象にする事は多く、例えば奈良県の日本最古の神社である大神神社も背後に聳える三輪山を神体山として、神社には本殿を設けず拝殿のみ建てられ、古代の祈りのままの形を現在に受け継いでいる。

更に神奈川県の大山も山頂には石尊という巨大磐座があり、古くから雨乞いの神と信じられ、農民から漁師あるいは商人や武士からも篤く崇敬され、素朴な農耕神としての性格から始まっています。

つまり、形の整った秀麗な山は大抵、古来より山を御神体として仰ぎ、麓の人々に恵みをもたらす母親のような存在であり、現在の信仰体制に変化はあるものの、大本となる山への尊崇は現在にも受け継がれ、今回紹介する八王子山もその一つで、まさに日吉大社の歴史の最初の1ページという事になります。

日吉大社のアクセス

 

車の場合は京都東IC及び大津ICで下車。

国道161号、県道47号を通り約20分で日吉大社に到着します。

駐車場は境内に有り。(約50台)

電車の場合はJR湖西線 比叡山坂本駅から徒歩20分。

   京阪石山坂本線 坂本比叡山口駅から徒歩10分。

比叡山坂本駅からはバスとタクシーが出ます。

【外部リンク】

www.kojak.co.jp

【公式サイト】

hiyoshitaisha.jp

 

八王子山山頂までの道のり

さて、前置きが長くなりましたが、八王子山山頂までの道のりを見てみましょう。

八王子山の登山口は西本宮から東本宮へ至る道の途中にあり、どちらかと言うと東本宮側にあります。

まぁ東本宮は八王子山の神を祀り、遥拝所としての機能もあったので、必然的にこちら側にある事は想像できると思います。

向かって右が牛尾宮遥拝所、左が三宮宮遥拝所

牛尾宮には東本宮の御祭神である大山咋神の荒魂、三宮宮には大山咋神と夫婦の神である鴨玉依姫神の荒魂がそれぞれ祀られ、山頂に行けなくてもここで拝む事ができます。

余談ですが、鴨玉依姫神の和魂が祀られている樹下宮は東本宮の境内にあり、その床下には井戸があるそうです。

しかも、樹下宮は南向きではなく、八王子山を拝むような向きに建てられ、更に本殿床下に湧き水がある事から、八王子山を拝し純粋な農耕神として何らかの祭祀が行われていた可能性があり、本来はここが本当の遥拝所ではないかと思えます。

さぁ片道約30分の登山が始まります!

登山口の階段は広く、1段がやたら大きい…

いきなりキツイ階段ですが、ここで諦めないで下さいね。

登った先には両サイドに建物があります。

これは何でしょうね?

特に説明書きも書かれておらず、中も確認する事ができません。

単なる倉庫みたいなものでしょうか?

階段を登り終えると登山道に差し掛かります。

登山道は広く歩きやすい道です。

特段危険箇所も無く、スニーカー程度で十分登れると思います。

暫く歩くと僅かですが視界の開けた場所に到着です。

手前に琵琶湖大橋と奥に沖島が見えます。

あまりにも大きいので一瞬海かと思いました…

展望を過ぎると何やら大きな岩が出現します。

これが磐座である金大巌か?と思いましたが、どうやらもう少し先にあるそうです。

しかし、なぜこのような巨岩が山頂付近に転がっているのか不思議ですね。

ラストは再び階段が出現します。

登山口のような急階段ではないので、ここはすんなり登れるでしょう。

そして遂に牛尾宮と三宮宮の姿が現れます!

遠くから見ても迫力のある社殿ですね!

早速近くまで行ってみましょう。

山岳信仰の象徴である懸造、牛尾宮、三宮宮の全貌

さて、ここが日吉大社の奥宮である牛尾宮と三宮宮です。

登山口の遥拝所と同じく、向かって右が牛尾宮、右が三宮宮で、崖に沿って建てられている様子が分かると思います。

この建物は懸造(かけづくり)という名の特殊な造りで、主に崖や岩場に沿って柱を立て、絶妙なバランスで保たれた建造物です。

懸造は古く、平安時代の中期以降に見られた造りで、石山寺、長谷寺、清水寺が最も古く、当初は増築の影響により何本もの柱を立てて懸造となったそうです。

しかし、平安時代の後期になると修験者の修行が活発化し、密教僧たちが危険な岩場や崖に籠る為の建造物や行場が必要となり、

その頃の懸造は、ただ単に崖や岩場に建てたり増築の為ではなく岩や崖、岩窟と言った聖なる空間を強く意識し、その空間や信仰対象物といかに一体化し、密着する為の建造物が建てられるようになりました。

その姿はどれも圧巻で、いかにも神秘性を感じる事ができます。

つまり、懸造は紛れもなく山岳信仰が生み出した結晶であり、地上では滅多に見られず、山奥で行者たちが命がけの修行をするために建てられた宗教性の濃い建造物です。

それでは改めて懸造である牛尾宮と三宮宮を見てみましょう。

真ん中に階段があり、左右に分かれって建てられ、階段の先には磐座である金大厳が堂々たる姿で立ちすくんでいます。

社殿の大きさは両方とも同じくらいですが、拝殿の形が若干違うのは何か意味があるのでしょうか?

柱の部分はこのようになっています。

崖の部分は土だけでなく岩や石が飛び出しており、岩の上にも柱が掛けられ絶妙なバランスを保たれているのが分かりますね。

見上げると拝殿が宙に浮き、これらの柱が見事に支えている事も分かります。

しかし、どうやって建てたんでしょうね?

一歩間違えれば拝殿ごと崩れ、生き埋めになる可能性もある…

まぁまだこの懸造は急斜面ではなく、そこまで難儀には思えませんが、全国には山奥の秘境に建てられた投入堂や断崖絶壁に建てられた堂宇などもあるので、それらを目の当たりにすると、修行の場を建てるとは言え、建設中も命がけの作業であり、行でもあったのではないかと思われる。

さてさて、よーく社殿を眺めると、実は本殿と拝殿に分かれています。

写真で見ると奥が本殿、手前が拝殿になっていて、実は拝殿(懸造の部分)は後から建てられたそうです。

両社殿はどこから入るのか?と思いましたが、写真の通りどうやら横から入る形になっています。

残念ながら中に入る事はできず、しかも中の様子も見る事はできませんでした。

両社の創建は実は明確に分かっておらず、比叡山の僧、相応が両社殿を建立したという記録が最も古く(890年)焼失されては再建を繰り返し、その後「平家物語」や「日吉山王利生記」に拝殿の記載があった事から、鎌倉時代以降には現在の形になったそうです。

両社殿の奥には日吉信仰の源流である磐座、金大厳があります。

金大厳には注連縄が張られ、ただの岩ではなく信仰の対象としての存在感が感じられる姿になっています。

先ほど述べたように、これらの社殿はこの磐座を拝む為に設けられた社殿であり、金大厳の正面を避ける形で建てられ、いかに磐座を大切にされている事が分かります。

また地上からも両社殿の間から確認できるように仕向けたのではないかと思われます。

ちなみに金大厳の奥に道がありましたが、ロープが張られていたので入りませんでした。奥に何があるのか分かりませんが、展望所でもあるのでしょうか?

少し気になりましたが残念です…

牛尾宮、三宮宮は現在日吉大社の一部とされ、東本宮の本殿と樹下宮の荒魂が祀られているお宮ですが、神仏習合時代は修験者の修行の場であったはずなので、どちらかと言うと仏教色の濃い建造物であり、場であります。

明治以降、神仏分離により、日吉大社における仏教色や仏像などは全て排除され、現在は延暦寺と日吉大社は完全に別れたそうですが、この両社殿の中には神像が安置されていたらしく、その神像も撤去されたのか気になるところです。

懸造がそのままと言う事は、ひょっとしたら中は神仏習合時代とほとんど変わらない状態で現在に至っているのかも知れないと想像してしまいます…

八王子山山頂からの眺め

最後に牛尾宮、三宮宮からの眺めをご覧ください!

懸造の社殿を振り返るとご覧の通り目の前には大きな琵琶湖を一望できます。

懸造の素晴らしい社殿もいいですが、最初に感動するのはやはりこの光景でしょうね!

標高381mの低山ですが、眺めは一級品と言っても良いではないか?

沖島は見えませんが、琵琶湖大橋は何とか見えますね。

更に奥に目を向ければ鈴鹿山脈も見えそうですが、この日はそちらの方は天気が良くなかったみたいで曇っていました。

先ほどの鳥居もバッチリ見えました!

手を振ったら誰か振り返してくれるかも!?

しかし、残念だったのはこの拝殿から琵琶湖を眺めてみたかった事。

明治以前の修験者たちはここで厳しい行を行いながらも、振り返るとこの素晴らしい絶景を眺め、心を洗われたに違いありません。

また、最澄は比叡山山麓に生まれ、幼い頃からこの地に慣れ親しみ、最終的には自分の故郷である比叡山に延暦寺を開いたそうです。

恐らく幼少時から八王子山を麓から眺めていたに違いないと思う。

ひょっとしたら最澄もこの場所から同じ景色を眺めたのかも知れませんね。

西本宮、東本宮も参拝しよう

まぁ八王子山だけ登って帰る人はほとんどいないと思いますが、西本宮と東本宮も参拝しましょう。

西本宮は天智天皇が大己貴神を勧請した事から始まり、朝廷との結びつきが強い神々が祀られ、東本宮は地主神である大山咋神を中心に土着の神々が祀られており、西と東で雰囲気が違うので、ぜひ訪れて欲しい。

最後に

いかがでしょうか?

八王子山は現在の日吉大社、延暦寺が創建される前より麓の人々から神の宿る山と崇敬されていた事から、まさに日吉信仰の発祥ではないでしょうか。

延暦寺が開かれ、日吉大社は神仏習合や山王信仰など様々な変化をされましたが、八王子山は過去から現在まで、磐座中心とする信仰が受け継がれ、昔と今を結ぶ参拝が可能な場所ではないかと思います。

もちろんそこにたどり着くには登山を強いられますが、磐座を中心とし、懸造の社殿である牛尾宮と三宮宮と素晴らしい絶景は感動間違いないので、ぜひ八王子山にも訪れてみてはいかがでしょうか。