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天狗岩丁場|小豆島最大級の丁場!400年前の採石の様子が残る史跡を訪ねてみた

島四国と呼ばれる小豆島は見渡せば岩山が多く、まさに石の宝庫であり、かつては大阪城の石垣を始め、全国各地に至るまで歴史的建造物に小豆島産の石が使われるほど、小豆島の石は重要な役割を果たしていました。

更に小豆島と言えば空海が立ち寄った際に、その際のに寺院も開かれ、今では小豆島八十八ヶ所と呼ばれる小豆島版お遍路も存在し、その中には巨岩や岩窟に開かれた寺院も多く、まさに石の信仰が盛んで、石とは切っても切り離せない存在になっています。

そんな小豆島には石を採石する採石場が47箇所もあり、島の経済を支える重要な事業の一つである事が分かると思います。

さて、今回紹介する天狗岩丁場は小豆島の中でも最大級の丁場で、石切丁場としては唯一の国指定史跡となっているほど、貴重な遺跡です。

現在は丁場としての役目を終え、石が散乱した状況ですが、当時の面影が根強く残る遺跡でした。それでは早速日本遺産に登録された天狗岩丁場の様子をお伝えしたいと思います。

天狗岩までの道のり

ここ天狗岩丁場は説明書きの通り、大坂城の石垣の石を採石した場所ですが、実は現在の大阪城は2代目のもので、この丁場から運ばれた石も2代目大坂城の石垣の一部という事になります。

豊臣色を払拭するために更に巨大な城を建て、徳川大坂城として幕府の天領となったそうですね。

ちなみに、豊臣時代の大坂城は現在の大阪城の地中に埋まっているらしく、豊臣大坂城の盛土、石垣ごと土に埋まっているそうです。

そう考えるとこの徳川大坂城建設プロジェクトは相当な大事業ではなかったのか、と想像出来ますね。

少し余談ですが、大坂の坂の字が現在は阪となっていて、これは明治時代から阪へ表記されました。

坂という字は土に返るという意味で縁起が悪く、盛んを意味する「阪」へ変えようという動きが起こった為に明治以降は大阪となったそうです。

まぁこのような類は大阪に限らず全国でも見られますね。日光とか…

さて、日本遺産と書かれた石看板の先に天狗岩並びに石丁場への入口があります。

幟も立てられているので、迷わずスタートできると思います。

入口にはしおりがあります。

1部取って見学に参りましょう!

最初は遊歩道を歩いていきます。

きちんと整備された階段なので歩きやすいです。

暫くすると所々に大きな石が見え始めます。

この段階では人によって運ばれたのか、自然に落石したのかは分かりません。

しかし、この辺りは無造作に竹が生えているので、石の運びだしは別のルートで運ばれたのでしょうか?

歩き続けるとこのような石が見えてきます。

何やらギザギザに刻まれた跡が残っていますが、これは矢穴という石を割る為の穴の跡です。

このような石や岩がここから先多く見られます。

天狗岩丁場のシンボル!大天狗岩、小天狗岩

さて、最初のビューポイントである大天狗岩と小天狗岩に到着しました。

最初に姿を現したのが大天狗岩です。

恐らくこの丁場で最も大きな岩である大天狗岩は高さ17.3mと超巨大な岩で、シンボル的な存在になっています。

あまりにも大きいので、写真に収めるのが困難です。

眺めると所々ひび割れのようなものが確認でき、この岩にも矢穴や刻印が残っている事から大天狗岩も削っていた事になりますね。

しかし、こんな巨大な岩を削るのは効率的なのか疑問に思うところもありますし、見た感じこの岩はそこまで削っていなかったのではないかと思います。

こんな大きな岩はどちらかと言うと、磐座のような宗教的な意味で捉えられるのではないか?と、歩きながらそう感じます。

ひょったしたら畏れを感じて途中でこの岩を削るのをやめたのかもしれませんね。

大天狗岩の近くにはこのような岩も転がっています。

これはそげ石と言い、簡単に言うと岩を砕いて余った部分の石です。

ここから先もこのそげ石がたくさん見られます。

大天狗岩からまた階段が続きここを登ると小天狗岩に到着します。

登った先にはこれまた大きな岩が転がっています。

これらは自然に転がってきたものなのか?

矢穴も見られますが、この向きで打ち込む事は可能なのでしょうか?

しかし、人為的に運ばれてきたとなると、相当な労力ですね。

こちらが小天狗岩です。

案内図の通りここは通り抜ける事ができます。

ちょうど小天狗岩と後ろの岩がくっついた状態で、その隙間を渡る事ができます。

この小天狗岩はミステリースポットでもあり、見上げとそこにはなんと、岩の上部に矢穴があります。

普通、岩はハンマーで上から下に振り下ろして割りますが、これを見ると下から上へハンマーを上げている事になってしまいます…

こんな馬鹿げた事をやっていたのか疑問に思う遺構ですが、岩が転がってこのような光景になったのか、それとも本当に下から上へ打ち込んだのか、謎のままだそうです…

小天狗岩から先も階段が続き、左右には至る所に岩が転がり、矢穴の跡がどれも付いています。

階段の途中には小天狗岩のステージと呼ばれる箇所に到着します。

ちょうどステージのように平となり、ここから先ほど通った所を見下ろすことができます。まぁ一人でブレイクダンスするくらいの広さはありますかねぇ。

ステージから下を見下ろす。

意外に高さがあり、冊がないので覗く時は注意しながら覗きましょう。

生々しく残る採石跡

さて、小天狗岩の先に進むと頂上に到着します。

特に展望はありませんが、この周辺は特に採石跡が多く、今もなおここで職人たちが石を割っているのではないかという雰囲気を感じ取ることができます。

ほとんどがそげ石や途中で割るのをやめた石ですが、中には分割したまま残された石も存在します。

どのような理由でこのまま残されたか分かりませんが、このような石も多く残っているそうです。

割ったはいいが、測ってみると条件に合っていなかったのかもしれません。

そう考えると過酷な作業なのに割ってみないと分からないという、運も試されてしまう事が辛そうですね。

深い矢穴も確認できます。

打ち込んだものの、結局割れなかった岩も多くあったのでしょうね。

あと一歩のところで結局割れなかったり、形が崩れたりと一筋縄にいかない作業を永遠に繰り返していたんですね。

ここからは下りですが、行きに比べて石も多く作業はここが中心になっていたのではないかと思わせる光景が広がっています。

落石ではなく、明らかに人為的に岩を転がした事がはっきりと伝わってきます。

400年も年月が経っていますが、今もまだ作業が続いているような時が止まった史跡ですね。

そげ石や角石の他、刻印という石に印の付いた石も多く確認できます。

石にはこの丁場を管理していた黒田家の印(〇と□)が付けられ、帰り道の至る所にその印を見る事ができます。

現在の大阪城にも黒田家の印の付いた石垣があるそうなので、大阪城を訪れた時に探してみるのも良いかもしれません。

あ~これは小豆島から運ばれた石なんだな~と、思うかもしれませんね。

そして再び大天狗岩に戻り、後は先程歩いた竹藪の遊歩道を歩いてスタート地点へ戻りましょう。

石丁場見学後は道の駅大坂城残石記念公園へ

小豆島の道の駅は全部で3ヶ所あり、道の駅・みなとオアシス大坂城残石記念公園は小豆島の北部に位置し、ここでは大坂城へ石材を運ぶための運搬手段や道具などが展示され、更に日本人と石の関わりの歴史を知る事のできる資料館になっています。

入館料はなんと無料で館内の外にも様々な展示物があり、城石の他、小豆島で採掘される石や化石についても学ぶ事ができ、天狗岩丁場を見学された方には大変勉強になると思うので、ぜひ立ち寄ってみて下さい。

また、資料館の隣は道の駅になっていて、お土産や軽食コーナーもあるので、ドライブの休憩に立ち寄るのも良いかと思います。

【公式サイト】

www.pa.skr.mlit.go.jp

天狗岩丁場のアクセス、駐車場

アクセス

 

小豆島東部国道436号、岩谷地区。福田港から車で約10分。

バスの場合は南廻り福田線「岩ケ谷」下車

駐車場

明確な駐車場はありませんが、入口付近に数台停められるスペースがあります。

邪魔にならないように停めましょう。

最後に

今回訪れた天狗岩丁場は400年前に新たな大坂城を建設する際に土台となる石垣の石を採石した場所で、しかも日本における採石の歴史の第一歩となる丁場であり、令和の現在でもその面影をはっきりと残し、日本遺産にまで登録された魅力のあるスポットです。

無造作に散乱された石には今もはっきりと矢穴や刻印が残され、確かにここで採石が行われていたと実感でき、ふと眺めると今でも石工たちが石を砕いている様子が思い浮かんできそうなある意味生々しい光景でもあり、まるで遺跡を訪れているような感覚でもあります。

小豆島の他にも瀬戸内海に浮かぶ島には良質な石が多く、数々の丁場の跡も見られ、多くの建造物に貢献された事から、まさに石の文化が育まれた島である事も理解できます。

場所は小豆島東部の山の中で、町の中心部から離れた所に位置しますが、石の文化を学ぶ機会になると思うので、ぜひ立ち寄ってみて下さい。