
夏真っ盛りの8月は連休を利用して瀬戸内海の島旅に出ました。
4月にも瀬戸内海に訪れましたが、黄砂の影響により霞んだ多島美の景観だった為に思い切って夏に再び瀬戸内海を訪れました。
さて、初日に訪れた島は石島(井島)いう名の島でその島はなんと!島に県境が存在する日本で珍しい島でもあります。船の便が1日1~3往復、しかも平日のみ運行という非常に狭き門で、電話予約しか受け付けない、スーパーレアな島旅になります。
果たして県境が存在する石島(井島)とはどのような島なのか?今回は島旅ではありますが、冒険要素が高い旅になりました。
- そもそも県境のある島とは?
- 海を越えた幻の県境を持つ石島(井島)とは
- 宇野港~石島港
- 県境島、石島(井島)に上陸!
- 奥ゆかしい石島の港町
- 宇野港へのアクセス、駐車場
- 石島(井島)行きの船について
- 最後に
そもそも県境のある島とは?
日本の島の数はいったいどれくらいでしょうか?
恐らくこの質問に答えられる方はほとんどいないと思います。調べによると2023年の国土地理院の発表による数はなんと14,125島でした。日本は小さな島国ながら、まるで衛星のように大小多数の島を保有する国という事になります。
さて、そんな果てしない島の中から更に県境を持つ島を調べると…
その数はたったの8島しかありません!
一万数千もの数の島がありながら二つの県をまたぐ島がこれだけしか無い事はある意味非常に珍しい島です。しかもその中で島民がいる島は今回紹介する石島(井島)のみなのです!
ちなみに県境を持つ島の中で、上陸可能な島も実は石島(井島)だけで、それはつまり国内で島の県境を踏む事ができる日本で唯一の島は石島(井島)のみという事になります。
ここまで来ると、じゃあ三つの県をまたぐ島はあるのか?と期待しますが、残念ながら三つの県をまたぐ島はございません。
海を越えた幻の県境を持つ石島(井島)とは

石島(井島)は岡山県と香川県の間の瀬戸内海に位置し、国内では珍しい海を越えた県境を持つ有人島です。島の名前も石島と井島の二つの名で表記されています。これは、岡山県側を「石島」香川県側を「井島」とされ、共に”いしま”と呼ばれています。
そもそもなぜこのような事態になったのか?それは江戸時代における漁場争いから始まり最終的に領土問題まで発展した事が原因でした。
石島の隣には直島という島があり、この島は天領として江戸幕府の支配していた島で、周辺の漁場も直島の漁場でした。そしてある日、漁場付近で岡山藩との漁場論争が勃発し後に領土問題まで発展したそうです。最終的には北側を岡山藩胸上村、南側は直島が有する事になり、騒動の幕は閉じました。騒動後は岡山藩胸上村から三家が移住し開拓を行ったそうで、現在も島民は岡山県側のみとなり、いかに石島(井島)の北側を守るという執念を感じます。
騒動の名残は島名に受け継がれ、島名も石島(井島)という表記になり、備前と讃岐の国境線が現在の県境に受け継がれている事も理解できます。
また、島内には2~3世紀の弥生時代の集団墓と古墳時代の横穴式古墳が見つかり、歴史的に見ても興味深い島になっています。大正時代から昭和時代においては四国八十八ヶ所にちなんで島内に八十八の石仏が安置され、島おこしも行われていたそうです。
宇野港~石島港

宇野港に到着しました。
私は産業振興ビルの向かいにある宇野港駐車場を利用しました。


そこから歩いて数分で乗場に到着します。
乗り場に到着しました。さて、本来ならここで船のチケットを購入するのですが、電話予約の為、係の人にその旨を伝え乗り場まで進みます。
冒頭でも話した通り、石島へ行くには宇野港から定期船で向かいますが、実はこの定期船、平日のみ運行で本来は島民が宇野港を行き来するための定期船です。ところが2019年に島民以外の方も上陸可能になり、平日の宇野港13時半発のみ一般の方も井島へ向かう事ができるようになりました。
しかも電話予約のみなので、事前に必ず連絡するようにしましょう。
しかし、係の人に石島行きの予約をした者ですと伝えたのですが、係の人も分かっておらず案内に少し時間がかかりました。

確認が取れたため乗り場まで案内されました。
本来なら○○島行きという看板が立てられたところで待っているのですが、石島行きの看板は無く、この辺で待ってくださいとアバウトな案内でした。

そして暫く待っていると、見知らぬおばちゃんから「あなた石島へ行く人?」と訪ねられ私は「はい、13時半発の船に乗ります」と伝えたところ「じゃあこの船に乗って」と言われその船に乗った瞬間、


なんと!いきなり船が出航しました!
えっ!?と思っている内にみるみる船は速度を上げ港から離れていく…
時間はまだ13時半前ですが、人が揃った為か、船は容赦なく石島へ向かいました!どうやら13時半もあくまで目安らしく、揃い次第石島へ向かう事になっているみたいですね。

宇野港から井島までは15分くらいの船旅で、周囲には瀬戸内海の美しい島々を眺める事ができます。

かなり速いスピードで船が出ていますが私は船旅の場合、中に席に着かず立ったままずーっと景色を眺める派です。この時も時間の許す限り写真を撮り続けました。途中よろけて海に落ちそうになりましたが…

帰りの船で確認できましたが、四国の奇峰で有名な五剣山と屋島という平べったい山が見えました。五剣山は奇妙な形の低山で、今もなお入山は禁止されているそうです。しかし、五剣山という名前はカッコいいですね!
県境島、石島(井島)に上陸!

そして無事に石島(井島)に上陸
料金は片道800円。
船の運転手にお金を払う形になります。往復1600円なので、行きにまとめて支払いました。(なるべくおつりの無いように)

さて、島の様子は後にして最初に県境エリアに向かいましょう。県境はへ行くには山の方へ向かわなければならず、その登山口を見つけなければなりません。
船を運転してくださったおじちゃんによると真っすぐ向かえばいいと言われましたが、よく分からず振り出しに戻りました。


そこで、ヤマップを開き僅かな足跡を頼りに進む事にしました。
ヤマップは優秀で、登山道が表記していなくても誰かが歩いた足跡が残るようになっていて、今までに石島を歩いた方の足跡がアプリ上に残っていました。

集落を西に進み暫くすると山へ入る道らしき場所に到着します。
もちろん案内の看板は無いのいで自分で判断しなければなりません。

思い切って中に入って見ると、何となくですが登山道のような雰囲気があります。しかし踏み跡は無く、もちろん看板もありません。


しかし、所々看板っぽいものが立てられていますが、山頂へ向けての案内ではありません。


更に奥へ進むと背丈以上の覆われた草に突入します。真夏なので非常に暑くしかも巨大な蜘蛛の巣も容赦なく襲ってきます…
もはや道は完全に消滅し、ほとんど勘を頼りに進んでいくしかありません。
しかし、辛うじてヤマップの誰かが残した足跡が残っているのでそれにかけるしかありません!
これは、以前訪れた広島の心経山登山を思いここしますね。あの時は尋常じゃないほど蜘蛛の巣がいまして、頭に何度も喰らいました…

そして今回も枝というアイテムが役に立ち、蜘蛛の巣と草を押しのけるために何度も振り回しました!

ヤマトタケルのように草を払いよけながら進むも、足元が見えないので途中窪みに落ちたり転びそうな事が多々ありました。更に運が悪い事に意味不明な草の棘にやられ血が出たりと…満身創痍で進んでいきました。小さな池もたまに見かけますが、何とも不気味です。

途中には誰かが設置したであろう板状の橋もありますが、草で見えないので注意しましょう。


暫く歩くと徐々に視界が広がり、いよいよ展望の開けるコースに突入します。

ここから登りが始まり地図を見るともう少しで県境ゾーンに入ります。目の前に巨大な鉄塔が見えますね。まずはあちらを目指します。

前方を眺めると稜線が続き、あの頂が石島山山頂になります。
ここから先も明確な登山道はありませんが、進む方向は大体わかるので心配せずに進む事ができます。

ヤマップとグーグルマップを見ながら進んでいくともうすぐ県境にたどり着けるらしく、グーグルマップには石島八十八石仏(四十番)と記された場所がちょうど県境になっているのでそこを目指します。

登山道という登山道が無いので、模索しながら進むしかありません。

見上げると丘のような場所を見つけたのでそこに行ってみました。

たどり着くとそこは素晴らしい景色が広がり、マップを見てみると丁度県境に位置している事が判明しました。遂に念願の県境に到達しました!
ここは先ほどの鉄塔の真後ろの丘の上になるので、鉄塔を目指す方がいいかもしれませんね。

岡山県と香川県の県境に立ったということで、まず最初に自撮り!
国内でも島の県境を踏めるのはこの石島(井島)だけなので、非常に貴重な体験をしました。

ここでグーグールマップを開き、確かに県境を踏んでいる事が分かりますね!
小さな島ですが、ここまで来るのに大分時間がかかってしまいました…

ちなみに景色も素晴らしく、瀬戸内海特有の多島美が広がり、奥にはあちらも県境島である大槌島もよく見えます。天気が良かったので美しい景観を楽しむ事ができました。


展望はほぼ360度眺める事ができ、岡山方面も確認できます。

また、県境にはグーグールマップが示した通り、石仏が安置されていました。
これらの石仏は大正から昭和にかけて安置され、四国八十八ヶ所を模して始まったそうです。しかし山中にある石仏は顔の表情も分からずそこの佇んできます。手入れされないと、たとえ石仏でも100年ほどで朽ちてしまう事が分かります。
先ほど歩いてきた道にもいくつか石仏がありました。
ちなみに八十八もの石仏がありますが、今現在は80体余り確認できているそうです。
港の近くに安置するのは簡単なものの、山中に安置するにはかなり苦労されたのではないかと想像してしまいますね。

背後には石島山が見えます。恐らくあそこに立てば四国方面の展望も眺める事ができると思うので早速向かいましょう。

しかし、登山道が乏しいので、なかなか前に進む事ができず、しかも再び草が生い茂っていました…


そしてなんとか山頂部に到達し、尾根道になります。

左右に展望が広がり、石島山山頂を目指す手前左を眺めると今度は豊島、更に奥には小豆島まで姿を現します。これはなかなかの景色です!

右側を眺めると先ほど県境で眺めた方面が更によく見えます!
光る瀬戸内海のに浮かぶ多島美の中を船が進む光景は何とも風情があり、歩きながら何度もこの光景を見てしまいます。

暫く進むと島の先端方面が見えるようになります。
もちろん石島山という標識や三角点は無く、これもグーグルマップ等で位置を確認する必要があります。確認するとどうやらこの辺りが山頂のようで、やはり先ほどよりもいい景色が広がっています。
また、今立っている場所は香川県なので、この場所は井島という事になります。井島側に集落はあるのか気になりますが…


四国方面がよく見え、奇峰、五剣山も目立ちます。

石島山山頂は360度の瀬戸内海の絶景が楽しめる場所になっています。
標識はないので、地図等で確認しながら進みましょう。


石島山山頂を堪能し、ここから県境をぐるりと周回しようとしましたが、先に行くと尋常じゃないほど草が生い茂り、これ以上行く事は難しいと判断し、今回は来た道を戻る事にしました。本当は先に行きたかったのですが、船の時間も限られ、迷ったら元も子もないで素直に引き返しました。

そして再び集落に到着し、時間の許す限り港周辺を散策しました。
奥ゆかしい石島の港町


まずは石島港周辺を散策。
有人島ですが港周辺は人っ子一人いない状態で、聞こえるのは波の音と漁船が軋む音のみです。少し寂しさも感じますが、都会の喧騒を忘れられる光景に癒されます。


島には石仏も多く、八十八以外にも多数の石仏が安置されています。石仏をよく見ると表情が1つ1つ違い、見ているだけで和みます。また、石仏には花がきちんと供えられ、更にオシャレな衣装を纏ったものまでありました。

登山道入口から高台を眺めると鳥居とお社が見え、気になったので下山後に立ち寄ってみる事にしました。その神社がこちらで、入口には立派な鳥居が建てられています。
鳥居の額には山神宮と書かれ、この神社が島全体の氏神様になっています。御祭神は大山祇神ですが、元々は不動明王が祀られていたそうです。


階段の先には拝殿とその奥には本殿があり、明治の神仏分離以降お社も新たに御造営されたらしく、立派な拝殿と本殿になっています。


御祭神が変わったものの、現在もかつてお社に祀られていた不動明王も大切にされていました。中を覗くと不動明王も見えるのですが…これはどう見ても役行者にしか見えませんね…
でもまぁこれがお不動様と言えばお不動様なので、そこは日本人の信仰心らしく、つべこべ言わず尊いものは尊いもの!本当の名前は気にするな!という風に考えましょう。

お不動様が祀られている高台からは集落がよく見えます。
やはりこのような場所に神様を祀る事に意味があるように思えました。そして何より古き良き港町という感じがしますね。

島には学校の跡もあります。
恐らく小学校だと思いますが、比較的新しい感じの校舎になっています。

校舎は一階建てで、まさに田舎の学校という雰囲気が広がり、中に入る事はできませんが、入口付近には今でも一輪車や学校らしい水飲み場が残されていました。


今は子供たちの姿は見えませんが、かつてはこの場所ですくすくと成長する児童たちが集い、巣立って行かれたのでしょう。このような学校跡は住民のコミュニティセンターなどとして利用されることが多く、現在はどのようになっているのでしょうか?

刻一刻と帰りの船の時間が迫り、ここまで来て古墳が見られないのは何としてでも阻止しようと、必死に古墳を探しました。
島には古墳時代の古墳が全部で3基あり、そのうちの1つが先ほどの登山道のどこかにあったらしいのですが、残念ながら探す事はできず、最後の望みである2号古墳は何としてでも見つけなくては!と思い必死に探しました。

しかし、地図で確認してもなかなか見つける事ができず、最終手段として島民に聞いてみたところ、あの電柱の真下にあるよ!と教えてもらい、行ってみると確かにガイドブックに載っていた通りの古墳がありました。

何度も通ったにもかかわらず発見できなかったのは、古墳が草で覆われ為でしょうか。
さすがにこの状態じゃ分かりませんね…
しかも古墳の手前にはお墓があり、うかつに近づけませんでした。

草をかき分けると、そこには確かに岩が積み込まれた空間があり、小さいながらも古墳である事が分かります。中は暗く石がびっしりと積まれ、数人程度しか入れない小さな古墳です。古墳というと大きいイメージですが、ここまで小さな古墳を見るのは初めてです!


周囲を見渡すと、微かですが石が積まれている様子が確認でき、人工物である事も何となく分かります。

真後ろから見ると完全に草木で覆われ、これでは古墳である事は分かりませんね。しかも古墳の後ろもよそ様のお墓なのでここに入るのもやはり戸惑います。
しかし、古墳の周辺が墓地なので、これが古墳である事はあながち間違いではなさそうです。1号と3号古墳が見れなかったのは残念でしたが、何とか確認が取れてよかったです。
古墳の他、島内にはこれより古い弥生時代の集団墓があり、非常に興味深い史跡探訪もできそうです。今回は時間も無かったのですが、機会があればそちらも調べてみたいですね。



出発まで時間があったので、最後に集落を歩いてみました。
漁師町特有の狭い道がなんともよい風情を感じさせます。また、隙間から先に見える海と波の音を探しながら何度も行き来しました。

島には郵便局もあり、きちんとポストもありました。
レトロな看板が取り付けられ、昔から変わらず郵便局としてあり続けているのでしょうか。

そして楽しい島旅も午後5時を迎え、帰る時間になりました。
5時になると島内にはチャイムが鳴り響き、チャイムと同時に船のおじちゃんが登場しました。


石島港から宇野港へ船が出ます。
夕日に照らされ、昼間とはまた違う島々の表情を観察しながら潮風を感じました。

振り返ると海に浮かぶ石島(井島)が見えます。意外にも大きく徐々に小さくなっていく島を見るのは少し寂しい気持ちになります。

宇野港へ到着し、送ってくれたおじちゃんに感謝の言葉を添え、ここで別れました。定期船は宇野港から再び石島港へ出発し、暫くその様子を眺め続けました。
そして、この日はすぐに移動し、明日の島旅の地へ向かいました。
宇野港へのアクセス、駐車場
山陽自動車道岡山ICから車で約60分、瀬戸中央自動車道水島ICから車で約40分。
電車の場合はJR宇野駅から徒歩1分で港に到着。
駐車場は港の正面にある産業振興ビル駐車場と宇野港駐車場がおすすめです。共に100台以上停められる広い駐車場になっています。
石島(井島)行きの船について
石島(井島)行きの船は元々存在せず、島民はかつて自分の船で行き来していたそうです。しかし、島の中学校が廃校になり、本土の学校へ通う為のスクールボートが運行され、2015年、島の最後の卒業生と共にスクールボートも廃止になりました。ところがこれに困った島民が一丸になって島民以外の方からも署名を集め、定期船の存続を勝ち取りました。
これにより、今でも定期船は存在するものの、定期船は平日限定の1日1~3往復のみと決まっていて、予約も宇野港へ電話予約のみになっています。
料金は片道800円、往復1600円です。
当日はそのまま小型旅客船乗り場へ行き、石島(井島)行きの定期船を予約した事を伝えるだけで、案内されます。
運行時間等は四国汽船株式会社(宇野支店)へお問合せ下さい。
ちなみに私が乗った定期船は、行き13時半、帰り17時です。(一般の方は恐らくこの便)
最後に
県境を有する島は国内でも限られていて、その中でも唯一上陸可能な島が今回訪れた石島(井島)です。
実際に訪れると県境までの道のりは非常に険しく、道なき道を歩く感じになっていて、まるで冒険をしているようでした。道迷いのリスクを感じながらも必死に歩き、県境に立った時はこの上ない達成感と喜びでいっぱいでした。
ただ、時間の限られた島旅なので、島全体を調べる事はできず今回は県境と島の貴重な史跡である古墳1基のみしか見学できませんでした。しかし、何度も言いますが国内で唯一訪れる事のできる島の県境に実際に立てた事が何より貴重な体験で、恐らく一生忘れる事のない島旅になったと思います。
石島(井島)は基本予約をすれば誰でも訪れる事ができますが、島内にはコンビニや商店、自動販売機は無く、あまり観光の為に訪れるような島ではない事はあらかじめご理解していただきたいと思います。
しかし、どうしても島の県境に立ちたい!と思う方はぜひとも訪れてみて下さい。