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【寝覚の床】木曽の浦島太郎伝説の地!奇岩が連なる名勝の絶景を紹介!

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 木曽の旅の二日目は主に景勝地巡りを計画し、この日の午前中は阿寺渓谷を見学しました。

圧倒するような美しさを誇る阿寺ブルーを堪能した後は、すぐに国道19号を北へ走り、木曽の名勝である寝覚めの床を見学しました。

竜宮城から帰ってきた浦島太郎が寝覚めたことから、この場所は寝覚めの床と呼ばれるようになり、地元では浦島太郎伝説の地として親しまれています。

しかし、浦島太郎と言えば竜宮城や亀など海のイメージがありますが、ここ木曽は海のイメージである浦島太郎とは全く縁のない深い山奥の場所であります。

 なので、今回は木曽の山奥に伝わる浦島太郎はどんな内容か、更に木曽八景に選ばれるほど素晴らしい光景を楽しめる寝覚めの床の全貌並びにおすすめスポットを紹介したいと思います。

木曽の浦島太郎伝説が伝わる寝覚の床とは

突然ですが日本の昔話で知られている浦島太郎は、概ねこのような内容でしょうか。

”浦島太郎は助けた亀に連れられて海の竜宮城で乙姫と幸せな日々を過ごし、帰り際に決して開けてはならない玉手箱を受け取り、故郷へ帰りました。

しかし、余りにも変わり果てた故郷に違和感を感じ、三年間竜宮城に過ごしたにも関わらず、実際は何百年も経っていた事を知り、途方に暮れた浦島は乙姫の忠刻を破り、玉手箱を開けてしまった。すると白い煙が立ち、浦島はおじいさんになってしまった。”

とまぁこんな感じの内容だと思われますね。

日本の昔話は、悪い事をすれば自分に返ってきて、良い事をすれば幸せになれるという、教訓じみた内容がほとんどでありますが、この浦島太郎は、いじめられた亀を助けたのにも関わらず、最終的には二度と竜宮城へは戻れず、しかも元の世界にも帰れずという最悪な結果で終わっています。(むしろ、亀をいじめた子供たちは何ともない…)

これは、教訓というよりも楽しい事は永遠に続かない、竜宮城のような幸せな国はどこにもない…という人生の、現実の厳しさを伝えられた物語ではないかと考えられます。

こんなシビアでキツイ物語の本質を子供たちに教えるのもなんかなぁ~って個人的には思ってしまいます。

そんな、日本人唯一のタイムトラベラーこと浦島太郎の物語は、「丹後国風土記」に記された浦島説話が原型となり、話の流れは大体同じですが、設定や内容が私たちの知る浦島太郎とは異なります。

詳しい内容はここでは省略しますが、私たちの知る浦島太郎は室町時代に「御伽草子」という書物が一般に広がり、その中に浦島太郎の物語が記された事により多くの方に知れ渡りました。

そして、浦島太郎の物語は人気を博した事により全国津々浦々に広がり、話の内容も地域ごとに変化し、ご当地の浦島太郎が創作されました。

つまり現代風に言えば、浦島太郎の”二次創作”が全国各地で行われるようになりました。

まるで同人誌のように全国様々な形で浦島太郎の物語は創作されてきましたが、ここ木曽にも浦島太郎伝説が伝えられています。

内容としてはほとんど変わりませんが、物語の最後に渡されたのが玉手箱の他、弁才天像と万宝神書であり、万宝神書には飛行術や長寿の薬法が書かれていました。

そして、飛行術により旅に出た浦島は木曽の寝覚の床にたどり着き、美しい光景に魅了され、住み着いたと語られています。

これは浦島太郎の物語その後である、いわば後日談として描かれ、海にある竜宮城から山奥の木曽に飛んだ理由が伝えられています。

物語のクライマックスは、忘れていた玉手箱を開け、浦島は三百歳の翁になってしまい、その後は人々に長寿の薬を授けるようになり、やがて翁は寝覚の床に弁才天を残したまま何処かへ去ってしまったと語られています。

そして残された弁才天像を川沿いに祀り、寺が創建されたそうです。

つまり、これは寝覚の床にある臨川寺の創建の物語であり、臨川寺の縁起書に記されています。

臨川寺の僧侶としては一人でも多くの方がこの地に訪れて欲しいという思いがあったので、大ヒット作である浦島太郎の物語をアレンジし、浦島太郎はここへ来たのだ!と伝える事で人を呼び寄せ、更に乙姫岩など浦島太郎にちなんだ名所を作り上げ、寝覚の床を観光名所として寺の経営を維持されたそうです。

このような経緯から、いつしか寝覚の床は浦島太郎伝説の地として定着し、臨川寺の努力の結果、現在は木曽八景として名を馳せる名勝へ導かれました。

実際に寝覚めの床へ行ってみよう

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さてさて、前置きが長くなってしまいましたが、実際に寝覚の床へ行きましょう!

寝覚めの床に行くには臨川寺から下りるルートが一番近いですが、手前の美術公園から歩いて行くルートもおすすめです。

今回は駐車場から石の彫刻ゾーンを経て寝覚の床へ向かう事にしました。

駐車場~石の彫刻ゾーン

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駐車場からすぐに遊歩道が続いているのでそこを歩きます。

遊歩道は木々に囲まれているのでハイキング感覚で歩く事が出来ます。

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しばらく進むと石の彫刻ゾーンである時の広場に到着します。

ここは「時の広場」と呼ばれ、石で出来たモニュメントが展示されています。

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人によって創られた石のモニュメントと長い年月をかけ自然によって創られた寝覚の床がコラボし、過去と現在を結ぶ意味が込められ、時の広場と名付けられています。

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川沿いに足を運ぶと、寝覚の床が一望できます。

臨川寺の努力により、今では史跡名勝天然記念物として多くの人々に感動を与える観光スポットになっています。

ここにはベンチも完備されているので、ゆっくりと眺める事もできます。

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拡大するとこんな感じ

意図的に創られたのではないかと思うほど綺麗に削られていますが、正真正銘自然によって創られた光景です。

石の彫刻ゾーン~浦島堂

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さて、寝覚の床を眺めるだけでなく、近くに行ってみましょう!

まず、寝覚の床へ繋がる橋を渡ります。

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橋を渡るとその先は大きな岩が点在し、足場が悪くなるので注意しながら進みましょう。

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おや?

何やら丸みを帯びた白い岩が見えてきました。

これは先ほど正面から見えた亀石ですね。

近くに行きましょう。

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目の前にやってきました。

亀石と名付けられていますが、これは亀でしょうか?

私には、一昔流行った“やわらか戦車”に見えますが…

みなさんはどのように見えますか?

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ちなみに反対側からはこのような形になっています。

何でしょう…

ミニダックス?

見る角度によって様々な意見が出ると思いますね。

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亀石からは先ほど歩いた遊歩道が見えます。

川沿いには大きな岩が無数に散らばっているのが分かります。

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亀石のお隣には床岩があります。

漢字の通り、床のように平らな岩になっていて、大の字で寝転がっても問題ない広さです。

浦島太郎もここで大の字になって寝転がっていたのでしょうか?

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その床岩からはご覧の通り、屏風岩を間近に眺められます。

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正面から見るとこんな感じ

戦艦の先端のように見えますね。

あと何でしょう…

私にはステージにも見えますが

あそこで歌や演奏などをやったら気持ちよさそうです。

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来た道を振り返るとこんな感じ

寝覚の床は観光スポットではありますが、ご覧の通り岩が散乱したスポットになっています。

浦島堂からその先も道はありますが、道案内の看板は一切無いので自己責任での見学となります。

また、足場も悪いので、サンダル等のラフな靴は控えた方が無難です。

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床岩付近から奥を眺めるとこんな感じ

切り立った岩壁と段状の岩の間に川が流れています。

奥に行けば行くほど複雑な造りになっているのではないかと、この段階で凄くワクワクしますね。

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さて、浦島堂へ進みましょう。

ここから先も大きな岩場が待ち構えているので、楽しみながらも慎重に足を進めましょう。

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と、途中にこんな岩もありました。

絶妙なバランスで保っているようですが、下の岩に支えられているようですね。

下の岩は故意的か?

押したりタックルしてみましたが、ビクともしませんでした(あたりまえか)

しかし、これぞパワーストーンって感じですね。

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浦島堂が見えてきました。

どうやら巨大な岩の上に建てられているようですね。

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なんと、ご親切に足をかける為の窪みがあります。

これはありがたいですね。

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そして遂に浦島堂に到着です。

小さいながらしっかりとしたお堂になっています。

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中を覗くと浦島大明神と書かれた札があり、後ろのお社には像が祀られていました。

冒頭で少し触れましたが、ここの浦島堂はかつて弁才天が祀られていたそうで、浦島の物語にはよれば竜宮城から持ち帰った弁才天を浦島がここに安置し、後に祠を建て弁才天を祀った事で臨川寺が始まったと伝えられています。

しかし、実際は臨川寺の創建はわかっておらず、度々火災の被害に遭ったそうです。

肝心の弁才天ですが、元は尾張の藩主である徳川吉通がこの地に立ち寄った際に母の長寿を祈念するために弁才天堂は建てられました。

弁才天は海の神で性別は女性とされていますが、元々は河川神という事から海だけでなく川や湖近くに祀られている事もあり、ここにも弁才天が祀られたと思われます。

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現在は浦島太郎伝説の地としてアピールしたいのか、弁才天堂から浦島堂に変わり、浦島大明神が中に祀られています。

ちなみに弁才天は現在、臨川寺に安置されているそうなので、興味がある方は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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浦島堂の周りには何故か松が生えています。

故意に植えたのか分かりませんが、岩から生える松は風情がありますね。

浦島堂から先の光景

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さて、浦島堂より先はかなり険しい道のりになりますが、出来る限り進んでみたいと思います。

とその前に崖の方に行ってみましょう。

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ギリギリまで近づく事が出来ますが、やっぱり怖いですね。

水面下を見ると、何やら地下へ続く階段のようなものが確認できます。

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よく見ると水面に怪しい物体が浮いていますが、恐らく削られた岩の粒が浮遊していると思われます。今もなお、岩は削られているのですね。

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ちょっと進むとこんな光景も現れます。

階段とステージのような造りになっていますが…

何でしょう…

ここには彫刻の神様が居座り、今も岩を彫り芸術品を創っているのでしょうか?

これぞアーティスティックな光景です。

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おや?上部をよく見ると穴が空いていますね。

甌穴でしょうか?

甌穴は中の岩が流水により長い年月をかけて削られたものと言われています。

穴の中に岩があるので間違いないでしょう。

つまりこれは昔は今より水位が高かった事を意味し、恐らく今見えている奇岩も昔は川の中にあったのではないかと考える事が出来ます。

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さて、崖沿いはこれくらいにして、奥の方へ進みましょう。

奥まで行きたい方は崖側ではなく、内側を通った方が安心かもです。

万が一ってこともあるので私は出来るだけ内側を通りました。

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最奥間近の光景

相変わらず複雑怪奇な光景に目を奪われながらここまでやってきました。

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そして、ここを通れば恐らく最奥となりますが、ここが特に危険です。

刃渡り状の岩になっていたので、ここは一筋縄では行かないなと思い、カメラと荷物は置いて渡りました。

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ヒヤヒヤしながら刃渡りに成功し、遂に到着しました。

スマホの写真で撮りましたが、恐らくここが最奥だと思います。

寝覚の床より先は以外にも普通の川って感じで、ちょっと意外でした。

つまり、この辺りだけが異様な雰囲気を漂わせているという事ですね。

寝覚の床が一望できる絶景そば屋「寿伊舎」

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寝覚の床は下の公園から眺めたり、間近で触れ合う事の出来る観光スポットですが、

実は、寝覚の床全体を隈なく眺められる絶景スポットがあるという事で紹介します。

その場所がここ、寿伊舎です!

看板には絶景のそば処と書かれ、気になったのでここで食事を取る事にしました。

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中は一見普通のそば屋さんですが、このお店にはなんと!寝覚の床を一望できるテラス席が設けてあります。

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ご覧の通り、先ほど訪れた寝覚の床が一望できますね。

大自然を満喫しながらのんびりとそばをいただきましょう!

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私は天ぷらそばをいただきました。

天ぷらは揚げたてでサクサク、おそばは不揃いな麺でコシが効いておいしかったです。

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ちなみに寝覚の床と電車とのコラボ写真が見どころで、電車が通ると一斉に写真を撮る人が多いそうです。

残念ながら私は電車と遭遇しなかったので撮れませんでしたが、お店のおばちゃんから電車とのコラボの写真を頂きました。

チャンスがあればぜひ撮ってみましょう!

絶景のそば処 寿伊舎の場所

 

【住所】〒399-5607長野県木曽郡上松町小川寝覚2419-64

【電話番号】(0264)52-2295

【営業時間】10:00~17:30

【営業日】不定休のため、問い合わせをおすすめします

【駐車場】有り(10台程度)

寝覚の床のアクセス、駐車場

アクセス

 

JR中央本線 上松駅より徒歩15分程

中央道 中津川ICより50分程

駐車場

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駐車場は有料駐車場と無料駐車場があり、距離は少しありますが、寝覚の床美術公園の無料駐車場である上松町町営駐車場をおすすめします。(上の地図)

ちなみに、トイレも完備されています。

最後に

寝覚の床は景勝地でありながら、浦島太郎伝説が伝わる史跡としての一面も見られる観光地となっています。

長い年月によって削られた岩肌は、まるで人為的に創られたのではないかと思うほど複雑な景観を生み、まるで芸術品を鑑賞しているように思えます。更に実際に近くまで歩く事も可能なので、自然が生んだ芸術に触れ合う事をおすすめします。

また、山奥にも関わらず、浦島太郎伝説が伝わる事からいかに浦島太郎の物語が時代を越えて愛されていることもこの景勝地から感じられると思います。

寝覚の床は道路沿いに位置し、ドライブがてら遠くから眺める事も近くに行く事も可能な景勝地となっているので、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。