新潟と福島の県境に聳える東北の名峰、飯豊山から流れる加治川は源流付近では飯豊川とも呼ばれる清らかな川です。
その飯豊山から新潟方面に流れる加治川は麓の新発田市に流れる川で、かつて加治川沿いには6000本もの桜が連なり、桜の名所として名を馳せ、日本一の桜並木の光景が広がっていました。現在は本数が減少したものの、春には2000本の桜が咲き誇り今も桜の名所として受け継がれています。
さて、そんな日本一の桜並木と共に流れる加治川の上流方面へ向かう途中にまるで西洋神殿の遺跡のような光景を成す洞門があると、SNSで話題になっている事をご存知でしょうか。
いわゆる、日本じゃない!外国みたいな風景の部類であろう今回のスポットですが、あまり知られていないレアな場所との事で興味が湧き、今回も加治川を上流方面へ車を走らせ、実際に洞門がどのような光景なのか調査したのでお伝えしたいと思います。
東赤谷連続洞門までの道のり
新発田ICを降り、広大な田んぼが広がる五十公野地区方面へ車を走らせます。
ご覧の通りインター付近とは打って変わり、どこまでも広がる田んぼが美しい。春から夏には青々とした苗が、秋には頭の垂れた黄金色に輝く稲穂たちの姿を眺めながら走れる道路です。
途中、赤谷地区で分岐点に差し掛かります。
洞門は加治川ダム方面にあるので、ここは左の県道335号方面へ向かいます。
ここから暫くは二車線ですが、途中から一車線になりすれ違いには注意が必要です。
加治川ダム前に現れる三連続の洞門とは?
さて、インターからだいぶ山奥に進んできましたが、ダム前にトンネルのようなものが現れます。これが噂の洞門ですね。
入口と外見からはトンネルのように見え、遠くから眺めると洞門のようには見えませんが、近づくと吹き抜けになっているのが分かります。
洞門とは何か?というと、雪崩や土石、土砂崩れから道路や線路を守るために作られた防護用の建造物です。トンネルのように山を削ったのではなく、覆い被せるように作られた門の様ですね。
この事から覆道とも言われ、他にもシェッドや雪対策用にはスノーシェッドとも呼ばれています。
ちなみにこの洞門もスノーシェッドに分類されているそうです。
ここで少し歴史についてお話しますと、実はこの洞門、現在はこのように道路上に設置されていますが、昔は線路上にあり、蒸気機関車が走っていたそうです。
新発田方面からここまでの道のりには国鉄時代の廃駅が所々確認できるのが証拠で、かつては新発田駅から加治川ダム方面まで鉱山鉄道として走っていたそうです。
もともとは赤谷付近で採れた鉄鉱石を運ぶために大正11年に専用線として敷設されましたが、第一次世界大戦後の不況により使用されず放置されてしまいました。
その後、地元の請願により国鉄赤谷線が誕生し、第二次世界大戦後は再び鉄鉱石の需要が高まり、更に鉱石だけでなく観光客も楽しむための鉄道として活躍しましたが、時代と共に鉄鉱石の生産量も減少し規模を縮小するようになりました。
そして赤谷線は赤字路線へ追い込まれ、昭和56年に廃止承認。昭和59年、4月1日に全線廃止となり歴史に幕を下ろした。
と、開業から廃止まで決して順風満帆とはいかなかったものの、この洞門は当時のままの姿を残し、現在は県道335号として、ダム関係者と観光客が行き来する道路へ生まれ変わりました。
ちなみにこの洞門は昭和15,6年頃に完成したそうで、つまり完成から80年そのままで残された遺構なんです。
さらりと東赤谷洞門の歴史をお話しましたが、早速中の方を覗いてみましょう!
側面は苔に覆われ、かなり歴史を感じる風貌になっています。
まず1つ目は短い洞門で、入口に立つとすぐ出口が顔を出し全体的に明るくなっています。歩きでもすぐ通り抜けられるので、車やバイクだったらほんの一瞬なんでしょうね。
さて、次は2つ目の洞門ですが、2つ目と3つめの洞門には信号機が付けられています。道も細く一台しか通れないので、このような信号機が付けられているのでしょう。
これはセンサーではなく定期的に色の変わる信号機でした。
では中の様子を見てみましょう。
2つ目の洞門は一番長く途中曲がっているので出口が見えません。
写真は加工しているので明るく見えますが、実際は昼間でもうす暗く少し心細さを感じます。
幅は車一台分しかないので、すれ違いは不可能。先ほどの信号機を守らないと大変なことになりそうですね。
洞門の天井を見てみると、何やら黒い染みのようなものが付着していますが、実はこれは蒸気機関車の煙によって灼けた跡であり、実際にここを走っていたことを証明する歴史の跡なんですね。
近くで見るとひびが入っていたり、鉄筋がむき出しになっている箇所が見受けられ、この老朽化が何とも美しく思えてきます。
均等に並べられた門がどこまでも続き、門の形もレトロ感が溢れていますね。
最近のSNSでは西洋神殿の遺跡のようだ!日本じゃないみたいだ!などと話題になり、確かにまじまじ眺めてみると、どこか別の国の神殿というか遺跡に迷い込んだように思えなくもないですね。
デザインもそうですが、コンクリートの老朽化と蒸気機関車による煙の跡がそのまま残された結果、神秘的な空間が生み出されたんですね!
当時この洞門を造った人たちは、まさか未来では西洋の神殿遺跡のような雰囲気に変化するとは思ってもいないだろう。
ラスト3つ目も入口と中はほとんど同じです。
こちらにも信号機が付けられています。
実は洞門は3つではなくもう一つありますが、一番最初の洞門より遥かに短く、グーグルマップにも認証されていませんでした…
見学の際に注意していただきたいのは、車の場合は外の広いスペースに停車させて見学しましょう。
洞門の中は先程の写真の通り1台しか通過できない幅で、更にすれ違いも不可能なのでくれぐれも洞門内で停車しないようにしましょう。
洞門を越えると加治川ダム
連続洞門を越えると加治川治水ダムに到着します。
治水ダムとしては全国で一番最初に着手され、尚且つ現在完成している中では日本最大の大きさだそうです。
またダム公園としても開かれており、無料駐車場も完備されているので気軽に日本最大級の治水ダムを間近に眺めることが出来ます。
ちなみにダムの近くには焼峰山、蒜場山の登山口があり、登山も楽しめるようになっています。
洞門と共に赤谷線の廃線も巡ろう
昭和59年に廃線となった赤谷線は現在、線路も撤去され跡形も無い状況になりましたが、廃線後は道路とサイクリングロードや遊歩道など健康づくりの道として整備され、気軽に散歩やジョギング、サイクリングを楽しむ事が出来ます。
また、当時の車両や駅舎がそのまま残された場所、更にダムの手前には橋梁が残され、確かに列車が走っていた唯一の証拠を見ることができ、史跡巡りとして訪れるのも良いと思います。
東赤谷連続洞門のアクセス
日本海東北自動車道聖籠新発田ICより車で30~40分程度
駐車場は無いので、洞門付近に邪魔にならないように停車しましょう。
最後に
今回紹介した洞門は現在のように車やバスの為ではなく、かつてここを走っていた列車の為の洞門であり、それはつまり赤谷線の遺構である事が分かります。
何の変哲もない洞門ですが、蒸気機関車の煙によって天井が黒ずみ時の流れにより劣化し、西洋神殿のような光景を生み出され、山奥の遺構ですが近年話題になっています。
洞門周辺にはキャンプ地やダム、登山可能な山などレジャーとして楽しめる観光地になっているので、観光がてらぜひその神秘的な光景を目の当たりにしてみてはいかがでしょうか。