さて、那須岳の登山を終え、下山後の温泉を楽しんだ後は史跡探訪という事で、ここも那須の歴史として有名な場所である殺生石を訪れました。
実はこの殺生石も2回目の訪問で、前回訪れた時は「殺生石」という何とも恐ろしい名称に興味が湧き訪れた事を覚えています。
殺生とは読んで字のごとく生き物を殺すという事で、仏教の中では一番重い罪にあたり、仏教問わずあらゆる宗教においても禁じられた行為であります。
そんな恐ろしい意味を持つ名前の石がここ那須に存在し、現在は観光名所の一つとなり、多くの方が一目見ようと訪れています。
果たしてこの殺生石とはどのような姿なのか、また殺生石の周囲の様子も併せて紹介したいと思います。
殺生石のアクセス、駐車場
アクセス
東北道那須ICから県道17号、那須街道を那須岳方面へ約30分で駐車場に到着します。
駐車場
無料駐車場完備、普通車約15台、大型バス数台停められます。
まるで恐山のような荒涼たる風景
さて、これから見学に行きますが、ここで案内図を見てみましょう。
ご覧の通り、殺生石は鹿の湯のすぐ隣に位置し、ほぼ温泉の施設の一部に組み込まれています。
今回紹介するのは殺生石付近なので少し拡大しましょう。
駐車場から1周歩いても30分はかからないコースなので、じっくり見学できます。
駐車場を降りると目の前に橋が現れ、ここを通ると殺生石へ続く木道になります。
ひょっとしてこれは三途の川なのでは?
恐る恐る橋を渡ると殺生石と書かれた看板が現れます。
「殺生石」と書かれ恐ろしい雰囲気が漂います。
殺生石まではこのような木道が続き、よく整備されています。
看板からすぐの所に盲蛇石というスポットがあります。
看板によると、五左衛門という男がこの地に盲目の蛇を見つけ、気の毒に思った五左衛門は蛇が冬を越せるように小屋を作った。
すると翌春、小屋を訪れると蛇はいなく、代わりに輝く湯の花が置いてありました。
その後、湯の花作りがこの地で始まり、人々は蛇に感謝しようと、蛇の頭に似せたこの石を「盲蛇石」と名付け、大切にされてきたそうです。
改めて見ると、特に蛇の頭には見えませんが、殺生石と違い心温まる伝説ですね。
まぁ蛇は古来より縁起のいい生き物として、また脱皮を繰り返す事により蘇りの象徴として崇敬されてきたので、このような恵みをもたらす伝説も納得できると思います。
その伝説に書かれていた湯の花は盲蛇石のすぐ隣にあるこの場所で採取されていたそうです。
湯の花とは温泉に入った時に見られる白い結晶のようなもので、主に入浴剤として使われる事が多いですが、漬物や食料に混ぜたりする事も可能です。
この湯の花は昭和初期まで採取が行われ、かつては一大湯の花採取場としての歴史があり、江戸時代には年貢米の代わりに湯の花を納めるほど、貴重な資源であり、更に特産品としても扱われていたそうです。
つまり、この地は史跡としての面と採取場としての面の二つ顔を持った場所ですね。
湯の花採取場の反対側は賽の河原が広がり、以前訪れた青森の恐山を思い起こす寂しい光景が広がっています。
恐山を訪れた時の記事はこちら↓
よく見ると硫黄が含まれた岩があちこち転がり、小さな石が積み重ねた箇所もあり、賽の河原でよく見る光景が広がっています。
更に奥には千体地蔵や教伝地蔵などが安置され、独特な雰囲気を醸し出しています。
千体地蔵
ちょうど盲蛇石の反対側には千体地蔵が安置されています。
千体と書かれているので実際に千体あるのかと言えば恐らく無いと思います。
これらのお地蔵さまは全て合掌され、同じ方向を向き一体となって祈られている様子が分かります。しかし、少し異様な雰囲気です…
賽の河原と言えば地蔵菩薩ですが、やはりこの地にも多数のお地蔵様が安置され、ここは死の世界である事を上手く表現していますね。
お地蔵様をよく見ると一体一体が違う表情をしています。
どれも穏やかな表情をしています。
九尾の狐伝説が伝わる殺生石とは?
さて、賽の河原を越えると殺生石に向けての木道が続きます。
そこまで距離は無いので、サクッと歩きましょう。
そして遂に殺生石に到着です。
最初どれが殺生石か分かりませんでしたが、どうやら注連縄が張られた石が殺生石のようですね。
殺生石は山の斜面に位置する石で、何故かこの斜面には大きな岩が大量に転がっています。
今まで歩いてきた木道周辺の石に比べても大きさが違い、異様な雰囲気も漂っています。
駐車場を降りた瞬間から鼻に着くような硫黄の臭いがしましたが、臭いはやはりこの一帯が一番凄いと思いました。
今もなお火山性噴気ガスが噴出するこの一帯の地温は地表で八十度、地下三十メートルでは百度を超えるらしく、先ほどの湯の花採取跡のところで手をかざすとその熱を感じる事ができます。
しかし、かつては今以上の噴気や地熱もあり、硫黄臭も比べ物にはならないと思われます。松尾芭蕉もこの地を訪れ「奥の細道」には凄まじい硫黄臭を感じたと書かれ、かつてはこの臭いにより命を落とす鳥獣もいたそうです。
冒頭で書いたと思いますが殺生石は2回目で、確か前回訪れた7~8年前の方が臭いが強かったと個人的にも思います。(芭蕉が訪れた時はそれ以上ですな)
さて、殺生石の由来ですが…
看板の通り、九尾の狐は鳥羽上皇に取り入るために玉藻前という美女に成りすましたが、安倍晴明の生まれ変わりとまで言われている安倍泰親(泰成)に見破られ、この地で毒石となり、石になった後も生き物を殺し続けたという恐ろしい伝説が語られています。
この安倍泰親は、伝説の陰陽師安倍晴明の直系五代目の陰陽師で、歴代の中でもトップクラスの陰陽師として活躍し、指神子とまで呼ばれた天才陰陽師です。
安倍泰成は泰親の息子で、見破ったのは一般的に泰成とされていますが、泰親という説もあるそうです。
いずれにせよ国を亡ぼすほどの悪行を成す恐ろしい九尾の狐を退治に追いやったのは晴明の血を引く陰陽師であり、皮肉にも安倍晴明は狐の子として生まれたらしく、それはつまり親を殺したようなものではないか…と思ってしまう。
まぁ九尾の狐も所詮伝説ですからねぇ
と、そんなことを思いながら改めて殺生石を見てみましょう。
実は殺生石は2022年の3月に真っ二つに割れてしまったらしく、現在はこのような割れた状態で存在しています。割れていない状態の時は一際大きい不気味な石の風貌でしたが、今は無残に割れた姿になってしまっている…
また、殺生石には注連縄が付けられており、昨年には2年ぶりに注連縄が取り付けられたそうです。
注連縄は割れた石を結ぶように取り付けられていますね。
殺生石が割れたのは九尾の狐の仕業か?あるいは何かの知らせか?などなど、話題にもなっていたそうですが、果たしてこの現象は何を意味するのでしょうか?
恐ろしい伝説を秘めているからこそ、色々と想像が膨らみます。
殺生石の周辺は広く整備され、大勢の人が集まる事も可能です。
そして横には展望台へ続く道もありますね。
余裕のある方は展望台まで歩いてみてはいかがでしょうか。
温泉の神として崇められた温泉神社とは?
さて、殺生石の先にも道が続いているので先に進みましょう。
殺生石から更に続く道を歩くと、温泉神社という神社に到着します。
境内は広く、社殿も立派で延喜式にも記載されている由緒ある神社です。
那須岳の記事にも書きましたが、那須には那須七湯と言う七つの温泉があり、その中で最も古い温泉が鹿の湯という温泉です。
この温泉は実は殺生石のすぐ隣に位置し、鹿の湯を発見した事により温泉の神である「ゆぜん様」を祀って社が創建されたそうです。
温泉と書いて”ゆぜん”とも読むらしいです。
しかし現在の御祭神は温泉神社では必ず祀られている大己貴命と少彦名命で、この二柱は温泉の神としても有名ですね。
共に出雲を代表とするこの二柱ですが、温泉の神として信仰されているのはやはり出雲地方がかつて、旧石器から縄文にかけて活発な火山地帯であり、”出雲”とは火山から湧き上がる噴煙を表しているとも言われているくらいです。また、出雲神話で有名なヤマタノオロチ退治では、オロチに勝利したスサノオは「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」と高らかに歌い、これは日本最古の和歌として有名ですが、「八雲立つ」という枕詞は火口から立ち上る不気味な噴煙を意味しているように思えます。
そんな火山地帯を代表する国つ神の大己貴命は別名大穴牟遅とも書かれ、大穴は大きな穴を持つ神、つまり火口を意味し、大己貴命は火山の神としての一面も持ち、それは温泉の神としての信仰にも繋がると思われます。
話が長くなってしまうので、これくらいにしましょう。
境内には那須の名木である立派な松の木の他、摂末社には温泉の発見者である狩野三郎を祀る見立神社、更に悪さをした九尾の狐を祀る九尾稲荷神社など、見どころは多いです。
参道も長く、灯篭が多数奉納されています。
ちなみに境内からは先ほど歩いてきた木道がよく見えます。
こうして見ると、あの一帯だけ石や岩が散乱し、荒涼たる風景がよく分かります。
温泉神社も歴史と共に変化し、現在は大己貴命、少彦名命を祀っていますが、やはり最初はこの地に由来する温泉の神を崇敬し、殺生石もかつては磐座信仰として崇められていたのではないか?と思ってしまいます。
那須岳を登ろう
殺生石から約10分で、那須ロープウェイ山麓駅に到着します。
登山をされる方は先にある峠の茶屋登山口から那須岳を登り、登山以外の方はロープウェイで茶臼岳を登りましょう。
ロープウェイ山頂駅からも景色は十分ですが、約30分ほど登れば360度の大絶景を楽しめるので、山頂を目指すことをおすすめします。
【那須ロープウェイ公式サイト】
よろしければ、登山記事もどうぞ!
最後に
殺生石は鹿の湯のすぐそばにあり、那須の歴史には欠かせない史跡です。
由来を読むと伝説じみた内容ですが、実際に殺生石を見ると、その不気味な姿から納得のできると思います。
松尾芭蕉も訪れたこの殺生石周辺は大変硫黄の臭いが漂い、駐車場を降りた段階からその強烈なにおいが鼻につくので、臭いに敏感の人は注意が必要です。
殺生石は那須街道沿いに位置するので、ドライブがてらにも立ち寄りやすく、気軽に見学でき、更に延喜式神名帳にも記載された由緒ある温泉神社も併せて参拝される事をおすすめします。