連休最終日は淡路島に立ち寄り、以前から登ってみたかった諭鶴羽山を登る事になりました。
諭鶴羽山は淡路島の最高峰であり、古くから修験道としても栄え、山頂には諭鶴羽神社が鎮座しています。
今回は諭鶴羽ダム側の登山口から山頂を目指すコースを選択し、山頂からの絶景を楽しんだ後は諭鶴羽神社を参拝し、再び諭鶴羽ダムへ戻りました。
終始登りやすい道が続き、登山道の途中には修験道の面影を感じられる箇所もあり、清々しい登山を味わえ、登山よりもハイキングに近い山行でした。
それでは今回は連休最終日に訪れた淡路島最高峰の諭鶴羽山の裏参道と山頂からの景色、更に諭鶴羽神社の様子をお伝えしたいと思います。
諭鶴羽山の登山道(裏参道)
諭鶴羽ダムから約1時間15分で山頂に到着します。
また、山頂から諭鶴羽神社までは15分程度です。
諭鶴羽ダム~諭鶴羽山山頂
諭鶴羽ダムに到着しました。
ダム周辺にはいくつか駐車場があるので、車でお越しの際は駐車場に停めて登山口へ向かいましょう。
駐車場から登山口の方面へ向かう途中に橋があります。
この橋からは諭鶴羽ダムを一望でき、諭鶴羽湖とも呼ばれています。
諭鶴羽湖は諭鶴羽山の原生林から湧き出した清らかな水が溜まって出来た湖で、古くから下界の人々の生活用水として潤いを与えてきた湖です。
また、諭鶴羽山は淡路島が誇る歴史のある霊山であり、その事からこの湖も諭鶴羽湖と名付けられたそうです。
橋を渡ると登山口に到着します。
どうやらダム側の登山道は裏参道と呼ばれ、その名は諭鶴羽古道と名付けられています。
諭鶴羽古道とは、これまた歴史を感じる登山道ですね!
開始早々杉林の急登がお出迎えますが、距離はそほど長くはなく気持ちの良い登山道が続きます。
所々石仏も見られ諭鶴羽古道と言われる通り、歴史を感じながら登っていきます。
登山開始から10数分で神倉神社に到着します。
神倉神社は諭鶴羽神社の摂社で、ここには不動明王や役行者など修験道にゆかりのある石仏や石像がずらりと祀られています。
ちょうどこの場所は平坦で、これから山頂へ向かう前に行者たちが集まってここで祈りを捧げていたのではないかと思われます。
神倉神社は小さなお社ですが、隣にはかつて大きな建物が建てられていたと思われる跡がありました。
神倉神社というと熊野速玉大社に位置する神倉神社の事を思い起こしますね。
速玉社の近くにある神倉神社には巨大な岩があり、ちょうど社殿の真後ろに聳える巨大磐座で、熊野信仰の発祥ではないかとさえ言われるほど見る者を圧倒させる光景です。
ここの神倉神社もやはり熊野の神倉神社をイメージして建てられた神社でしょうか?
裏には熊野にある岩には遠く及びませんが、しっかりと巨岩がある事から熊野の神倉神社を模した感があり、ここでも熊野との繋がりを感じます。
また、諭鶴羽山は神仏習合時代には山中に堂宇がいくつも建てられていたそうで、ひょっとしたらこの神倉神社もかつては堂宇として建立されたのかもしれませんね。
神倉神社から先は少し岩混じりの登山道が続きますが、特段危険な箇所はなく、すんなり進む事ができます。
暫く進むと坂道どころか平坦な道が続きます。
登山を行っているのにまるでハイキングをしているようなそんな感覚に陥ります。
まぁこれはこれで楽なので有難いんですが、登山らしさも感じたい…


しかし、優しい朝日が登山道を照らし、耳を澄ませば鳥たちの鳴き声に癒しを感じる事ができます。
急登を登っている時は体が必死になり、正直自然の事を忘れがちですが、緩い登山道をひたすら歩くと周りの自然に目が行き、つい立ち止まってしまいます。


ちょうど5月の山行なので、ご覧の通り登山道にはつつじの花が咲いていました。
神倉神社から先はほとんど平坦だったので、そこまで苦労せずここまでやってきました。
この分岐点を右に曲がると山頂まであと少しです。
分岐点から先も相変わらず平坦な道が続き、急な道はなさそうです。
つまり、スタート直後が一番急な道でしたね。
暫く歩くと電波塔のようなものが見えてきます。
どうやら工事中で電波塔の移設の作業を行っている最中でした。
しかし特に道が狭くなったり通れなくなったりするわけでもないので、ここはスルー。
電波塔から先はコンクリートの道になり、この辺は車も通りそうなので注意しましょう。
そしてここを曲がればいよいよ山頂に到着です!
諭鶴羽山山頂からの景色
遂に淡路島最高峰である諭鶴羽山の山頂に到着しました。
山頂は広くお社が鎮座されていました。
ここは諭鶴羽神社の奥社的な存在ですが、奥之院という場所が別にあるみたいです。
ちなみに春の例大祭の際には神輿が渡御され、山頂は御旅所として開かれ、この場所に神輿が盛大に訪れるそうです。
恐らくこの石垣は神輿を安置するためのものだと思われます。
お社には諭鶴羽大神と八天狗が祀られています。
しかし、お神酒をお供えするのは分かるのですが、なぜかリポビタンDも一緒にお供えされていた…
神様も栄養ドリンクを欲しているのか?
それでは、山頂からの景色を見ていきましょう。
山頂には立派な標識が建てられ、ここで記念撮影できます。
淡路島最高峰の標識ですね!
そして景色がこんな感じ。
残念ながら木々が生えていて、しっかりと見えませんが、それでも景色はなかなかいいです。
西の方を眺めると大鳴門橋が見えますね~!
橋の向こうは四国という事になります。
望遠レンズで拡大するとこんな感じ。
数時間前にあの橋を通て来ましたが、淡路島最高峰から眺める大鳴門橋もいい感じに映りますね。
頑張れば渦潮も見えそうですが、残念ながら見えませんでした。
反対側は大きな海が広がっています。
瀬戸内海側は大小様々な島が見えますが、こちらはシンプルな大海原が輝きを見せていました。
同じ海でもここまで違うのはなかなか面白いですね。


淡路島最高峰の一等三角点。
こちらもきちんとチェックしましょう。
諭鶴羽神社を参拝
さて、登山だけならこのまま引き返せばいいのですが、せっかくなので諭鶴羽神社も参拝しましょう。
諭鶴羽神社へ向かうには山頂から少し下った所にありますので、こちらに向かいましょう。
暫く進むと、おや?再び電波塔がありました。
諭鶴羽山には2箇所の電波塔があるのですね。
電波塔からも更に下りが続きます。
道幅も広く、登りやすい坂道になっています。
この様子だと、神輿の渡御は表参道から登ってくるのだと思いますね。
そして数分で諭鶴羽神社に到着します。
正面には立派な鳥居が立っています。
鳥居を潜ると正面には社殿がありますが、よく見るとお堂のようにも見えます。
正面の両サイドには大量の絵馬が掛けられていました。
諭鶴羽神社は自然崇拝から始まり、後に修験道の山として、更に熊野三山の元宮と称され、現在のご祭神も熊野三神を祀る神社になっています。
由緒を読んでみると、本来は境内の幟に書かれていた諭鶴羽権現という諭鶴羽山の地主神を祀る社であったが、後に修験道の盛んな世の中になり、「熊野権現御垂迹縁起」によると、熊野の神は中国の天台山から熊野三山に鎮座するために渡来し、九州の英彦山、四国の石鎚山、淡路島の諭鶴羽山の順に立ち寄って最終的に熊野に留まったと伝えられています。
これはつまり熊野信仰の勢力を表すものであり、元熊野と称されるのも、縁起の通り熊野の神が熊野三山に到着する前に鎮座した場所だからだと思われます。
いずれにせよ諭鶴羽山は熊野信仰と繋がりのある霊山であり、純粋な山岳信仰から最終的に修験道と結びつき、一大霊場へ発展されました。
境内には巨大で立派な杉の木があり、大小の二柱の杉の木がまるで親子のような姿から親子杉と名付けられたそうです。
また、社殿前にはこんな看板があり、かなしきデブ猫ちゃんマルと書かれていました。
デブ猫とは一体何なのか?
神社とどう関係あるのか分からないままでしたが、近くにはじまりの鐘という、デブ猫と関係ありそうな箇所がありました。
その他境内には摂末社の他、神仙館という資料館もあり、なかなか見ごたえのある境内になっています。
ちなみに社殿の反対側にはもう一つの展望所である、天の浮橋遥拝所があります。
海の中にひっそりと浮かぶのが沼島で、おのころ島の候補にもなっている神秘的な島です。
おのころ島はイザナギとイザナミが国生みの際に拠点とした島で、実際にどれがおのころ島なのかは分かっておらず、いくつかの候補があるそうです。
そのうちの候補があちらの沼島という事になります。
淡路島は国生み神話で最初に誕生した島と伝えられているので、おのころ島は必然的に淡路島に近い場所が候補になります。
沼島以外の候補には絵島や家島、友ヶ島などが挙げられ、どれも淡路島に近く、それぞれ伝説を持つ島でもあります。
帰りは再び山頂方面へ戻り、ダムへ下りましょう。
行きは気づきませんでしたが、このような注連柱がありました。
奥の院、並びに頂上がいかに神域である事を示す柱ですね。
諭鶴羽山のアクセス、駐車場
西淡三原ICから県道535号を諭鶴羽山方面へ約40分でダムに到着します。


駐車場はダムの周辺にいくつかあり、全て無料駐車場になっています。
公衆トイレも近くにあります。
最後に
淡路島最高峰の諭鶴羽山は表参道と裏参道があり、今回はダム側から登る裏参道で山頂を目指しました。
裏参道は登山口からいきなり急登が始まりますが、ほとんどは緩やかな登山道で比較的歩きやすく、ハイキング感覚で登る事ができます。
また、山頂付近には諭鶴羽信仰の大本である諭鶴羽神社が鎮座し、距離も山頂からすぐなので、登山がてら諭鶴羽大神の御神威を肌で感じる事もおすすめです。
ぜひ淡路島の最高峰である諭鶴羽山を登ってみてください。