投入堂という言葉を聞いたことがあるだろうか?
投入堂とは読んで字の如く、まるで岩穴に放り投げて建てられたような建築物で、その光景は見る人を圧倒し、迂闊に近づいてはならない雰囲気を醸し出した、神秘的な堂宇です。
そんな投入堂は全国各地の山奥に建てられ、国内では鳥取県の三佛寺の投入堂が最も有名で、観光サイトや近年はテレビでも放送されたり、更にネットで”投入堂”と検索すれば真っ先に三佛寺が出てくるほどです。
私の旅でも今まで数少ない投入堂や懸造の堂宇を見てきましたが、巨大な岩穴の中に建てられた堂宇は圧巻で、自然の中に溶け込まれている様子が一目で分かり、最近は投入堂や懸造建築に興味を抱き、訪れた場所の近くに投入堂がないか調べたりもします。
さて、今回訪れたのは「土佐の投入堂」と呼ばれる秘境スポットで、三佛寺ほど知名度はありませんが、こちらの投入堂も負けないくらい圧巻な姿で、何故こんな所に?と思うほど恐ろしい断崖に建てられています。
果たして土佐の投入堂とはどのような風貌なのか?今回は「土佐の投入堂」と呼ばれる聖神社へ至る3つのルートと、実際に直面して感じ取った事をお伝えしたいと思います。
聖神社への道その1、行者コース
聖神社は奥まった山の中に存在するため、道路から徒歩で向かわなければなりません。
国道439号から県道18号を聖神社方面へ走らせ、風の里公園の途中に聖神社入口があります。
入口は2つあり、1つは青い小屋が目印の聖神社対岸、もう1つはすぐ隣にある聖神社、土佐の投入堂と書かれた看板が設置されています。
青い小屋がある聖神社対岸入口は険しい山道や橋を進んで行く、まるで修験者が歩くようなコースで、ここでは”行者コース”と勝手に名付けたいと思います。
ネットではこちらから行かれる方が多く、私も最初はこちらから登ろうと考えていたので、まずは青い小屋が目印の聖神社対岸入口、行者コース(左の写真)からご案内します。
聖神社対岸入口~聖神社撮影スポット
さて、まずは行者コースから行きましょう。
入口はご覧の通り清々しい川が流れています。
対岸入口という事は途中川を渡るのでしょうか?
それにしても青い小屋は目立ちますね!というか、この小屋が懸造建築のようになっていて、これはあれか、聖神社が投入堂である事をアピールしているのでは?と、勝手に思いました…
出だしから細く急な登りに差し掛かります…
やはりこちらのコースは一筋縄ではいかない空気を感じます。
ハイキングどころかこれは登山になるので、こちらのコースから向かう時はそれなりの恰好が必要です。
そんな私は、念のため登山靴で進むことにしました!
いや~今思うと登山靴で行った方がやっぱり正解でしたね!
まぁ必ずしも登山靴や登山経験がなければ危ないという程ではもちろんございませんが、写真の通り、かなり登山道という感じになっていますね。
細いコースですが、意外にもしっかりとした道になっていて、所々テープもあります。よほどの事が無い限りはまず道に迷う事はないと思いますので安心してください。
見上げると無数の木々が聳え立っています。
静寂が支配する登山道にふと立ち止まっては深呼吸し、再び歩き出すの繰り返しです。
この辺りの雰囲気はいいですね。
所々手書きの案内標識があり、それを頼りに進んで行きます。
そして歩き始めて10分くらいで聖神社の全体が見られるスポットに到着します。
ここからの景色が凄いんです!
聖神社撮影スポットから聖神社の全貌
スタートから山道を歩く途中に聖神社全体を見渡せるスポットに到着しました。
どうですか?これが土佐の投入堂の全貌です!
背後の巨大な岩窟にすっぽりと、まるで誰かが建物ごと放り投げたように見えますね!
一体全体誰が何の目的でこのような建物を建てたのだろう?と疑問にしか思いませんが、このような懸造建築は修験道の開祖である役行者が空から材料を投げ入れて造ったという伝説もあり、確かに常識では考えられない場所に建てられている事からそのように語られていると思います。
あそこまで行けると思うと、ドキドキとワクワクが止まりませんね!
役行者が造ったという伝説からやはり、この投入堂も修験道や山岳信仰が絡んでいる事は間違いないようです。仏教伝来以降日本の僧侶たちは山に入って修行する、いわば山林修行が流行し、初期の頃は岩窟などに籠ったり仮説の道場を作って日々修行をおこなっていたそうです。
そしていつしか日本人本来の自然を畏れ敬うという神観念と仏の信仰との融合により、急峻な山奥の岩窟や崖にありのままの自然と共に籠もり、祈りを捧げる場を設ける為にこのような懸造という建造物が建てられました。
つまり、懸造建築こそ1000年以上続いた信仰である神仏混淆の結晶であり、神仏分離の現在における貴重な名残であります。
話が長くなりましたが、改めて聖神社を眺めると鬱蒼とする奥深い山の巨大な岩窟にすっぽりと覆われるように建てられ、いかにも修験者の祈りの場のように感じますね。
しかし、この行者コースはここから先が本番であり、厳しい道のりが待っているので気を引き締めて参りましょう。
ちなみに、この聖神社全体を眺められるこのスポットは行者コースのみなので、後に紹介するコースから行かれる場合はこの光景を眺められないので要注意。
また、この展望所は足場が悪く先が崖になっているので、撮影する際は十分に注意しましょう。
聖神社撮影スポット~合流地点
さて、ここから先は登りではありませんが、道も細くなり、更に岩場やロープ場も登場し、まさに行者が歩くようなコースにさしかかります。
暫くすると、おや?何やら橋が見えますね。
近づくと木で作られた橋が登場します。
長さは短いものの、だいぶ傷んでおり、渡って大丈夫かな?と少し不安を煽る橋です。
まぁ流れている川はそこまで激流ではないので、怖さはあまり感じません。
慎重に渡ろう。
そして橋はもう一つありますが、こちらはしっかりしているので余裕です。
余裕は言い過ぎか…
橋を過ぎても下りが続きます。
しかし、道も細く不明慮な箇所もありますが、トラロープがしっかりと張られているので、それを頼りに進んで行きましょう。
吊り橋(近道)と書かれていました。
ここから先また橋があるのでしょうか?
更に下ると巨大な岩が登場します。
ここからいよいよ修験道っぽい険しい岩場になるのでしょうか?
不安ながらもドキドキとワクワクが止まりません!
おや?何やら吊り橋っぽいのが見えてきましたね!
そして隣にはハシゴが架かっています。
そのハシゴですがこのように大きな岩に架けられていました。
これはルートなのか気になり登ってみましたが、先には繋がっていなかったのでここは登らなくて大丈夫です。
ちなみに登ったところから吊り橋の全貌が明らかになります。
全体像を見ると少し怖いというか、なんと!奥の岩壁の穴に直接繋がっているではないか!
あの先どうなっているのか、ここからは全く予想がつかず、正直ビビりましたね…
さて、それでは吊り橋を渡りましょう。
やはり奥の洞窟が気になりますが…
案の定、橋は歩く度にゆらゆら揺れ、しかも滑りやすく出だし普通に滑りました。
橋からは滝が見えるだけで、奥深い山を歩いている実感だけが湧いてきます。
橋には3人以上一緒に渡らないでくださいと、注意書きが書かれていました…
そして渡りきると怖~い洞窟にそのまま差し掛かり、ここは本当に怖かったです。
洞窟の中は真っ暗ですが、どうやらすぐ出口に繋がっているそうだったので安心して通る事ができました。
しかし、天上は低く、屈んで渡るような洞窟でしたね。
洞窟から出て振り返ると巨岩にぽっかりと穴が開いたような入口ですね。
その入口の横にはこの洞窟の説明書きが書かれていました。
どうやらこれは坑道の一種で、昭和時代にはこの山一帯が鉱山として大規模な採掘が行われていたそうですね。
説明書きによるとこの他、あちこちにこのような坑道や採掘跡があるそうで、もしかしたら今から訪れる聖神社は採掘の最中に再び発見されたのかも知れませんね!
ん?てことはこの吊り橋も最近架けられたという事で、今まで歩いてきた道も最近開かれた、という事なんでしょうか?
まぁ確かに修験道を感じさせる道ではありましたが、途中仏像や祠など一切ありませんでしたからねぇ~
さて、ここから聖神社まであと少しです。
ここからは再び登りとなり、難易度は低いですが鎖場も登場し、いよいよクライマック感溢れる登山道になります。
気を引き締めて行きましょう。
あっ!ちなみにここが別ルートとの合流地点となり、ここからが共通のコースとなります。
合流地点~聖神社
さて、再び登りになりますが、ここからほんの3分くらいで到着してしまいます。
登り始めるとすぐに足場の悪い鎖場が登場です。
しかし特段鎖は掴まなくても進めるので、不安な方は鎖をしっかり握って進みましょう。
鎖を越えると木のハシゴが現れます。
左は崖になっているので注意しながら進みましょう。
ハシゴは2つあり、このハシゴを登ると聖神社に到着します。
そして…そして!最後の鎖を登るとその姿を現します!
巨大岩壁に建てられた聖神社とは
そして歩く事約30分で聖神社に到着です。
社殿の目の前が崖なので、真正面から写真を撮る事は出来ず、真下から見上げる形でしか撮る事ができません。
見上げるとぽっかりと開いた岩窟の中に見事に収まる形に建てられている事が分かります。
聖神社の横は少しスペースが有り、そこの岩によじ登って撮影できますが、なかなか危険な場所なので、撮影する時は十分に注意しましょう。
横の崖に登って撮影してもイマイチよく撮れません…
もう少し奥にスペースがあれば横から全体が撮れるんですけど、この撮影は難しかったです。
なかなか上手く撮影できませんが、恐らく反対側に先ほどの展望所があると思います。
しかし、見渡す限り森に囲まれ完全に街と隔離された空間という感じがして、少し不安に思うところもあります。
懸造(かけづくり)とは平安末期から鎌倉初期にかけて山岳修験者が奥深い山で修業を行う為に建てられた建造物で、このような岩窟に寄り添うように建てられたそうです。
その為、床下を見てみるとこのように柱のみで支える形となり、いかにありのままの自然を傷付けず、一体化を目指した建造物である事が分かると思います。
余談ですが、実はこの懸造建築はこのような山奥のみではなく、近世においては山奥ではなく、市中などでも造られるようになり、修行の為の建造物ではなく鑑賞の為に造られた、いわばデザインとしての懸造建築も建てられたそうです。
しかし、やはり懸造建築は本来このような急峻な山奥の巨大な岩壁、岩窟に対して垂直に建てられた建造物であり、自然を畏れ敬う気持ちを抱きつつ、仏教の厳しい行に励む事を強調するかのような姿はまさに、神と仏が交差する建造物ではないでしょうか。
つまるところ、聖神社のような懸造は我が国の宗教性を具現化させた現代に残る貴重な建造物である事が分かりますね。
さて、懸造について話しましたが、ここでこの聖神社の中に入ってみましょう。
入口は正面向かって左にあり、鍵もかけられていないので誰でも入る事ができます。
ちなみに入口の横には聖神社について書かれた看板があります。
詳しい由緒かと思いきや、この聖神社の創建や歴史が分かっておらず、明治11年には存在していたとしか書かれていません。
しかし、この説明書きを読んで物凄く違和感を感じますね。
というのも、まず神社と名乗りながらも祭神が不動明王になっていて、不動明王は完全なる仏の一つなので、この仏像が祀られている事から恐らく密教系の寺院だった可能性が高く感じられます。
しかも、神社名が”聖”という文字が使われ、聖(ひじり)とは日本各地の深山にある霊場を巡る修験者を意味するので、尚更山岳修験の寺院の可能性が高く、社殿の風貌からも一目で分かると思います。
神社と名乗られているのは明治初期に起こった神仏分離による廃仏毀釈を怖れ、わざと神社に変えたのか?それとも単に神社と寺院の区別がつかず、ごちゃ混ぜになってしまったのか?或いは神仏習合時代からそのまま受け継いだのか?色々想像できますが、これだけでは真相は分からないので、詳しい歴史が知りたいですね。
しかし、看板には日本三大投入堂の一つである鳥取県の三佛寺の奥の院の投入堂を思い起こすと書かれている通り、確かにこの聖神社はそれに匹敵するほどの偉大さを感じる事は間違いないと思う。
さて、違和感や疑問の話はこのくらいにして中に入ましょう。
中は広く、綺麗に整理されていました。
正面には御扉があり、その奥には不動明王が安置されています。
神社でありながら祀られているのは正真正銘の不動明王とは、やはり違和感があります…
紙垂も綺麗で、おみくじや絵馬も頒布され、定期的に管理されている様子が伺えます。また、壁には聖神社の幟も立てかけられている事から観光スポットとしての動きも感じられます。
祭儀の時は不動明王に祝詞を唱えるのでしょうか?
その辺が気になるところですが、ここまで厳しい道のりを歩んできた者にとっては非常に尊い存在である事は間違いなく、私もそっと不動明王に手を合わせ、暫し祈りを捧げました。
さて、社殿内部の壁には改修の様子や土佐の投入堂と書かれた記事の一部が貼られ、高知県もこの聖神社を観光スポットとして推しているそうですね。
芸能人の方も来られたそうで、壁にはサインも飾られています。
おや?これは訪れた方が感想を書く、定番のノートですね!
しかし何故か片方は女の子が書いたような可愛い字で書かれていましたw
書いてにゃ♪(=^・^=)
なんだこの差は!?
ふと天上の方を見上げると鰐口が設置されています。
鰐口は寺院に設置される事が多いそうなので、やはり元は神社ではない感がここでも感じられます。
先ほどの説明書きにはこの鰐口は江戸時代のものと書かれていいたので江戸時代に、或いはもっと前に建てられていたかもしれませんね。
聖神社の外見と内部を紹介しましたが、先ほどの看板の通り聖神社がいつ建てられたのか、歴史等の詳しい事は一切分かっていません。
しかし、はっきりとした歴史がある無しよりも、この山奥にある巨大な岩壁にひっそりと、恐らく命がけで建てられたであろう懸造の建造物だからこそ、人々を魅了し感動を呼ぶのではないでしょうか。
聖神社への道その2、3一般コース
さて、最初に紹介したルートは行者コース(対岸コース)で、聖神社全体が見渡せるポイントや吊り橋など、多少の危険を伴うルートですが、こちらに訪れる方が多いと思います。
しかし、実は聖神社への道はこれだけでなく、サクッと訪れる事の出来るコースがもう2つある事が分かりました。
と言っても先ほど紹介した合流地点までとなり、圧倒的に行者コース(対岸コース)よりも近く少ない時間で、尚且つ登山が苦手な方におすすめなコースになっています。
時間に余裕があり、行者コース(対岸コース)ではないコースもじっくり体験したので、そちらのコースも紹介したいと思います。
その2、鳥居右ルート(最短コース)
対岸コース入口からほんの十数メートルのところに別の入口があります。
このような看板があり、どちらかというとこちらの方が正式な入口のようにも感じます。
入口からすぐ石段になりますが、物凄く趣の感じる石段で、明らかに人為的に敷かれた石段だと思います。
石段を登ると緩い登りになります。
道もしっかりして非常に歩きやすいです。
左側に川が流れています。
先ほどの行者コースはこの川の反対側になりますね。
歩いて4、5分で鳥居に到着します。
先ほどの行者コースでは鳥居や石仏と言った宗教色は一切ありませんでしたが、こちらはこのような鳥居が建てられ、正式な参道のように感じます。
この鳥居、平成25年に竣工されたそうですが、それ以前にあったのでしょうか?
鳥居を潜ると二手に分かれます。
右は聖神社、左は対岸と書かれ、さてどちらから行こうか?と迷い最初に右の聖神社の方へ進みました。
先ほどより少し急で道幅が狭く歩きにくいですが、行者コースよりかは歩きやすいです。
こちらにも石段があり、参道って感じがします。
そしてふと横を眺めるとご覧の様な石垣がいくつも見られます。
これらも明らかに人為的に積まれたもので、かつて何か建てられていた跡だと思います。
山岳信仰の山で院跡を見かける事がありますが、このような石垣も多く見られるので、やはり堂宇か祠などが建てられていたのでしょうか?
石垣の反対側には何やら怪しい橋が見えました。
最初は行きに渡った吊り橋だとは気づかず、まさかあれを渡るのか?と思いました。
不気味な橋が気になるところでしたが、鳥居からほんの数分でここに到着します。
あれ?ここはどこかで見たような…と、一瞬思考停止し、数秒後ここは先程の吊り橋を渡り、坑道を通った場所だ!と分かりました。
そう、ここが行者コースとの合流地点です。
入口からここまで10分前後なので、行者コースは明らかに大回りだと分かりますね。
そう、つまりあの橋は先程の吊り橋という事になります。
その3、鳥居左ルート
さて、今度は鳥居を潜り左の対岸の方を歩いてみましょう。
こちらは川を渡る感じのコースで、所々危なっかしい橋を渡ります。
凄く滑りやすいので渡る時は注意しましょう。
危なっかしい橋を渡り終えると、ここから少し不明慮な道に差し掛かります。
ご覧の通り、道がよく分からず、何度も見渡しながら進んで行きました。
辛うじてテープが付いているので迷いはしないと思いますが、今まで歩いたコースの中では一番厄介なコースだと思います。
そして不安ながら進んで行くと、行者コースの吊り橋手前に到着します。
この看板に見覚えありますね?
そう、鳥居から左に向かうとここに合流し、吊り橋を体験する事ができます。
以上が行者コース(対岸コース)以外のコースでした。
行者コース以外のコースは時間短縮になりますが、どちらも聖神社の展望所に行くことはできず、個人的には行者コースを体験した方が楽しめると思います。
聖神社のアクセス、駐車場
アクセス
国道197、439、494号に囲まれ、奥まった場所に位置します。
高速道路は須崎西ICが一番近く、国道197号を北へ走り、途中から細い林道を走っていきます。
越知町からは車で約40分かかります。
駐車場
聖神社入口前に5台程度停められる無料駐車場有り。(綺麗に整備されています)
また、駐車場の横には仮設ですがトイレも完備され、手洗い場もありました。
反対側は東屋があり、休憩スペースになっていました。
最後に
いかがでしょうか?
投入堂は本来人の寄り付かない急峻な山奥にある建造物で、山岳修験者の祈りの場という事が一目で分かると思います。
今回紹介した聖神社も日本各地にある投入堂の一つで、その姿は投入堂の代名詞である鳥取県の三佛寺奥院の投入堂に匹敵するくらいの迫力さを秘めています。
しかし、残念ながら聖神社の詳しい由緒や歴史については何も分かっておらず、明確な歴史のある三佛寺奥院と比べ知名度は低く、まだまだ知られていない史跡の部類にあてはまると思いますが、それを感じさせない風貌が見る人の心を奮い立たせ、多くの感動を呼ぶ史跡であると実感します。
人里離れた山奥で、アクセスも決していいものではありませんが、これぞまさに秘境の観光スポットであることは間違いなく、訪れる価値は十分にあると思います。
入口から聖神社までは登山道のような険しさも含まれているので、訪れる際は服装に十分注意してから入山しましょう。