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太郎坊宮(阿賀神社)|巨岩集う滋賀のパワースポット!太郎坊宮を参拝してみた!

蒸し暑い梅雨の休みの6月、琵琶湖周辺をトライブ中に一際目立つ山を発見し立ち寄ってみました。

その山は太郎坊山という名前で、かつては山岳信仰で賑わっていたような風貌を成し、近づく度にその偉大さを感じる事のできる山です。

ちょうどこの日は霊仙山を登ろうとしていましたが、山の天候が悪く断念したところだったので、急遽こちらの太郎坊山を訪れる事になりました。

標高は357mと低く、正面から眺めると形の整った秀麗な山容で、まるでご当地富士山を思い起こすような見事な姿になっています。

霊仙山を断念し、登山着のまま旅を続けていたのでちょうど良いと思い、短い登山でしたが、山頂からの景色は素晴らしく、中腹にある太郎坊宮(阿賀神社)も見事な磐座信仰を彷彿させる光景でした。

歴史的に見ても地質学的に見ても面白い山でしたので、今回は太郎坊山の登山と太郎坊宮(阿賀神社)についてお伝えしたいと思います。

太郎坊山とは?

太郎坊山は滋賀県東近江市に位置する標高350mの秀麗な独立峰で、古くから「太郎坊さん」の名で親しまれています。

太郎坊とは日本八大天狗の一番目の天狗で、それはつまり天狗の大将的存在となり、火伏の神で知られる愛宕山に住み着いている事で有名です。

最澄によって開かれたこの山も寺社建立の際に太郎坊に助けられ、更に岩山で修行する修験者が太郎坊天狗のような姿から自然と太郎坊山と呼ばれるようになったそうです。

天台宗の創始である最澄によって開かれた山なので、後に天台山岳信仰と修験道が結びつき多くの修験者が太郎坊山へ入山されました。写真の通り、山容は巨大な岩石を纏い、いかにも山岳修験を思い起こす風貌を成し、山中には社殿が確認できます。

また、山麓にはかつての宿坊跡や、太郎坊宮(阿賀神社)以前にこの山を管理していた成願寺も残されています。

【公式サイト】

www.tarobo.sakura.ne.jp

太郎坊山(赤神山)山頂を目指そう

太郎坊宮ホームページより引用

始めに境内図から見ましょう。

スタートは④の授与所で、登山口は御霊水、竜神舎と書かれた所にあります。

表参道(男坂)の方が急階段ですが、登山口は断然こちらの方が早いです。

登山しない方は裏参道からでも構いませんが、どちらかと言うと表参道→裏参道の順に進んだ方が望ましいです。

 

山の中腹辺りに駐車場があるのでそこに停めましょう。

駐車場には授与所と祈祷殿があり、階段を登らない方はここでも参拝できます。

祈祷殿の横から参道が始まります。

ここから夫婦岩までは永遠に階段ですが頑張りましょう。

鳥居を潜ると上りは表参道、反対側は裏参道という事になります。

どちらからでも本殿に行けますが、ここは表参道から参りましょう。

階段を登るとすぐに社務所に到着します。

先ほど麓から眺めた時に巨大な建物がありましたが、あれは社務所だったのですね。

参集殿も兼ねた建物という事からここまで大きいのでしょうか?

1階は授与品、御朱印の授与とお土産も販売されていました。

社務所から先は朱色の鳥居があり、長い階段が続いていきます。

階段の途中には長楽殿や安永殿があり、いずれも斜面に建てられた社殿になっています。

一部懸造になっているのが気になるところですが…

そしてここが登山口となる手水舎です。手水舎ですが名前は龍神舎と言うらしいです。

手水舎の手前にハイキングコース入口と書かれているので、太郎坊山山頂はこちらで間違いないようです。

しかし、登山口が手水舎というのは初めてですね。

龍神舎と呼ばれているので、中には龍神がいました。

コロナウイルスの為、柄杓は使えないみたいですが、龍神の口から注がれた御霊水がそのまま手水として使用できる形になっています。

柄杓で水をすくうよりこちらの方が有難みを感じます。

さて、手水舎を超えるといきなり登山道っぽくなります。

看板によると山頂までは0.7kmと短い距離なのでサクッと行けそうです。

最初の方はご覧のような巨岩が点在します。

麓から眺めたように山全体が岩で覆われているので、このような光景が続いていると思います。

肝心な登山道ですが、石段が積まれていて、比較的歩きやすい道になっていました。

急登ではないので、ある程度軽装でも問題はありません。

そして気づいたら最終分岐点に到着。

実はここから先も登山道が続き、すぐ隣には箕作山という山にも繋がっています。

時間に余裕があれば縦走してみるのもよさそうですね。

分岐点から先は細い道になり、岩場も出現しますが、特に危険個所はありません。

そして分岐点からほんの数分で展望が一気に開けます。

太郎坊山山頂からの景色

太郎坊山山頂に到着しました!

ここからは360度の大絶景が広がり、標高も低いので町の様子もよく分かります。

つまり、ここに立つという事は麓から見ると山頂に人がいる事が分かるのかもしれませんね。

まず正面は東近江市の町がよく見渡せます。

奥の方に聳える山々は三重県の山でしょうか?

東方面奥の方は恐らく鈴鹿山脈の山々だと思われます。

標高はそこまで高くないですが、冬になると雪山となり、まるでアルプスのような神々しい山脈の姿を見せてくれます。

北東方面は…

あまり見えませんが、雲で覆われている山は霊仙山でしょうか?

霊仙山は鈴鹿山脈の最北の山で、標高は1094mとどちらかと言うと低山ですが、山頂は広大で、とても低山の姿とは思えない圧倒する光景の山です。

あちらは秋に登ったので、いずれ記事を書きたい思います。

南南西方面まで展望が開けています。

あちらは奈良、京都方面の山ですね。

残念ながら琵琶湖をはっきりと確認することはできませんが、ギリギリ比叡山は見えました。(微妙に琵琶湖が見えますね!)

こうして見ると、比叡山も形の整った美しい山容を成している事が分かりますね。

真後ろに箕作山と西には小脇山が見えます。

恐らくこの小脇山で琵琶湖が見えないのだと思います。(たぶん…)

太郎坊山と山続きなので、実は太郎坊山は見方によっては独立峰に見えないのかもしれませんね。

ちなみに山頂は岩だらけになっていて、縦長に岩が広がっています。

ただ、端っこは断崖になっているので、足元に注意しながら展望を楽しみましょう。

山頂の標識は木にこっそりと取り付けられていたので、記念撮影も可能です!

奇岩・怪岩の宝庫!阿賀神社を参拝しよう

さて、再び手水舎に戻り、今度は最大の見どころである夫婦岩へ向かいましょう。

夫婦岩に向かう途中には多くの末社があり、どれも巨大な岩壁に祀られているのが魅力的です。

そして遂に夫婦岩に到着です。

麓から見えた巨岩はこの夫婦岩で、この奥に本殿が建てられています。

名前の通り夫婦岩なので、実はこの岩二つの巨岩から成り立ち、後ろの大きい岩が男岩、手前の少し小さい岩が女岩と名付けられています。

入口には銅鳥居が建てられていますね。

鳥居を潜ると岩と岩の間に隙間があり、奥に進む事ができます。

隙間はちょうど人が一人通れる幅になっていて、中はうす暗く不思議な感覚に見舞われます。

岩と岩の細い空間を歩くので、胎内くぐりにも似ていますが、個人的には古事記で有名な天岩戸伝説に登場する天岩屋のように感じます。

現在は地面も整備され、平らな道になっていますが、基本この雰囲気は変わらず荘厳で神秘的な場所である事は変わりません。

また、よく見ると岩にはきちんと注連縄が取り付けられ、巨大磐座である事も実感できます。

そして、夫婦岩を越えると本殿とその目の前には展望台が待ち受けています。

本殿はこぢんまりとした造りで、岩壁沿いに建てられています。

御祭神は「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)と大変長い神名ですが、この神は天照大御神と素戔嗚尊との誓約(うけい)という行為で生まれた神で、誓約とは物事が起こる前に予め結果を宣言し、その結果により神意をはかり勝敗を決める行為であり、素戔嗚は自分に邪心が無い事を証明するために行われました。

そこで、素戔嗚は自分が生む子が男であれば清い心と宣言し、見事に正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊を始め、五柱の男神を生み勝利を収めました。

ちなみに正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊とは、まさに勝った!という意味も込められているらしく、御神徳の勝ち運もこの神の意味から来ていると思います。

また、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の息子である二二ギ尊は天孫降臨で活躍した神であり、その後海幸彦、山幸彦が生まれ、その次に初代神武天皇に繋がる事から、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は皇室のゆかりの神でもあります。

看板には天照皇大神の第一皇子とも書かれているので、この誓約のシーンは実は結婚を表しているとも考えられているそうです。

御祭神が正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊になったのは恐らく神仏分離以降だと思われますが、力強い天狗の大将である太郎坊を表す神にはピッタリだと思いますし、この巨大で見る者を圧倒するような岩壁に実際に触れられる参道を通ると、自ずと力が漲り、勝負運が上がるように感じます。

そんな圧倒的な巨岩の隙間を通った後はご覧のような展望が開け、先ほど山頂で登った時より視界は狭まりますが、十分に景色を楽しめると思います。

また、この展望所は恐らく断崖に建てられ、横から見ると懸造(舞台造?)になっている事が確認できます。

なんというか、少し京都の清水寺にある有名な展望所のように見えなくもありませんね。

展望所には休憩所とこちらにも授与所がありました。

展望所から見上げるとカメラに収まらないくらい巨大な夫婦岩がこちらを見下ろしています。しかし、あの注連縄はどうやって取り付けたのだろう?

かなり命がけで取り付けているようにしか見えませんが…

そして、境内にはこれまた興味深い看板を発見しました。

なんと、太郎坊山を中心に周辺の山々は火山活動でできた山らしく、図のように比叡山から鈴鹿山脈辺りまで円を描くようなカルデラになっているそうです。

約七千万年前の白亜紀というと、ちょうど恐竜がこの大地を闊歩していた時代でしょうか?

その頃の火山活動によりカルデラが形成され湖東カルデラと呼ばれています。

調べによると、このカルデラは直径30kmほどで、それはつまり阿蘇のカルデラよりも大きい存在で、現在はカルデラという面影はほとんど残っていませんが、かつては生々しい火口の姿だった事が想像できますね。

先ほど山頂から景色を眺めましたが、まさかあの光景は巨大なカルデラだったとは想像もつかないでしょう。

この夫婦岩は火山岩の一種である流紋岩という事から、この一帯は火山活動が盛んだった事が分かります。

滋賀県はマンガン地帯で、かつてはマンガン鉱山としての記録もあり、伊吹山においては現在も石灰石の採掘が続くほど鉱床が盛んです。

更に霊仙山を登った時に麓を車で走っていると、丹生という地名も確認できたので、やはり朱も採掘されていたのではないかと想像できます。

そう考えると湖東カルデラによる鉱物の恩恵が著しく、この山もまた火山活動によって成されたので、鉱物の神としても崇められていたのではないかと感じます。

さて、本殿を越えると下りになり、ここから裏参道が始まります。

階段の途中にも数々の神様が祀られ、途中には成就社というお社もあります。

正面には天狗のお面が取り付けられ、神社というよりもやはりお寺の雰囲気を感じます。

成就社から先は願かけ道という参道があり、展望の良い道が続いていきます。

途中には天狗像や役行者像など、まさに修験道のゆかりの像が立ち並びます。

願かけ道の先端に柴微社という小さなお社があり、ここで行き止まりになっているので引き返しましょう。

成就社から先は緩い下りが続き、暫くすると不動尊が祀られています。

うす暗い岩と岩から流れ落ちる滝に挟まれたお社の中にお不動様が安置され、妙に神秘的でした。

ここは御霊水としても扱われており、手水舎があります。

先ほどの登山口にあった手水舎と違い、今度は天狗でしょうか?いや、カラス天狗?

そして不動尊の先には絵馬殿があり、気のせいか本殿や成就社よりも大きく、かなりの人が入れる社殿になっています。

絵馬殿の中を見上げると、巨大で立派な絵馬が数々奉納され、主に大正から昭和にかけての絵馬が多かったです。

また、絵馬殿にはベンチが多く設置され、休憩所としても開かれています。

広々としているので、かつては何頭もの馬が奉納されていたのではないか?と想像してしまいます。

ここからも景色は良く、ベンチに座りながらゆっくり眺めたい光景です。

ぐるりと参道を一周し、駐車場に戻ろうとしましたが、駐車場の授与所を越えたところの階段は下りもあり、気になったので少し下りてみる事にしました。

下りの途中には夥しい鳥居が奉納され、まるで京都の伏見稲荷神社の千本鳥居みたいになていました。

年号を見ると平成末期から令和のものが多く、鳥居の奉納は最近始まったのではないかと思います。

新たな新名所でしょうか?

この鳥居を下ると恐らく成願寺、更に麓の鳥居まで繋がっているのでしょう。

本来なら麓から歩いて参拝するのがベストだと思うので、余裕のある方はぜひこの鳥居を潜りながら本殿まで登ってみては?

まるで神宮神田?阿賀神社の御神田

さて、太郎坊山と阿賀神社を満喫したので、これで帰ろうと思いましたが、実は二の鳥居の手前に御神田という田んぼがあります。

それにしても入口に注連縄も張られていたので、こちらも神域である事は間違いないみたいです。

中に入ると田んぼが三面あり、正面には鳥居が建てられ、その奥に先ほど訪れた太郎坊山が神々しく聳えていました。

鳥居、田んぼ、山肌に寄り添うように建てられた社殿たち…

何でしょう、この一枚の写真で、まさにここは日本であるというのが一目瞭然と思うのは私だけでしょうか?

田んぼは三面に分かれていますが、品種は二種類で、鳥居手前には日本晴、後ろの一面には滋賀羽二重糯が作られています。

共に滋賀県のお米として全国に知られ、特に滋賀羽二重糯は日本一のもち米としても有名で、もち米による様々な商品が町おこしにも使用されるほど重宝された品種です。

御神田という名の田んぼなので、恐らく伊勢の神宮の神宮神田的な存在である事は想像できます。

神宮は年間1500ものお祭りが斎行され、そのお祭りに使用されるお供え物も実は自給自足でなされている為、お供え物に使用するお米や野菜果物、塩などを作る専門の施設があり、御料地と呼ばれています。

詳しく調べていませんが、ここ御神田も神宮の御料地のような存在ではないかと思われます。ひょっとしたら祭儀に使用されているお米は、この御神田から採れたものを使用されているかもしれませんね。

また、太郎坊宮の御祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊という事で、実はこの神様は勝ち運の他、名前に穂という字が使われているので、稲穂の神としての性格もあるそうです。

つまり、御神田は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の賜物であり、神名に記された忍穂は多くの稲穂という意味でもあるので、滋賀のお米がより多く実りますようにと祈られた場所と考える事もできます。

太郎坊宮のアクセス、駐車場

アクセス

 

名神高速道路八日市ICより車で20分。

電車の場合は太郎坊宮前駅から徒歩20分。または八日市からタクシー10分。

駐車場

山の中腹に大きな参拝者用の無料駐車場があります。

最後に

勝運の神で知られる阿賀神社は太郎坊という天狗の住む山であり、山容から力強さを感じ、まさに勝負運が上がりそうな神社でした。

元々山岳信仰の山でもあり、かつては天狗の名前である太郎坊と呼ばれ、山名も太郎坊山となり、現在は阿賀神社またの名を太郎坊宮として鎮座されていたお宮です。

今回は太郎坊宮こと阿賀神社参拝の他、太郎坊山山頂まで登り、山頂からの絶景を堪能し、太郎坊山最大の磐座である夫婦岩も間近に見られ、更に太郎坊山とその周辺がかつては巨大なカルデラであった事も知る事ができ、歴史の他、地学としても楽しめる山でした。

琵琶湖周辺には魅力的な観光スポットが数多くありますが、今回訪れた太郎坊山は低山ながら物凄いパワーを感じる事のできる場所である事間違いないので、ぜひ一度登山、若しくはパワースポット巡りの際に訪れてみてはいかがでしょうか。