千葉県は日本一標高の低い都道府県と言われ、最も高い山が標高408mと500mにも及ばない低山が連なる県です。しかし、そんな低山だらけの千葉県には鋸山を始め、あっ!と驚くような景観を成す奇峰が多く、低山ながら岩に関する歴史や文化を紡いできた地域でもあります。
今回の旅のキーワードは“岩”という事で、岩と切っても切り離せない投入堂を紹介します。投入堂とはご存知の方もいると思いますが、巨大な岩壁に寄り添うように建てられた堂宇で、知っている人も知らない人も見れば圧倒される建造物になっています。今回は千葉県にある人里から離れた静かな山の中にひっそりと建てられた不思議な投入堂たちをご紹介したいと思います。
高宕山近くにある高宕観音堂
石射太郎山周辺は石切り場の面影が


高宕観音堂へ行くにはまず、石射太郎山を登らなければなりません。
麓には登山者用の無料駐車場があり、高宕観音堂まで約分の登山となるので、しっかりとした靴を履いて入山しましょう。
石射太郎山は台田久保という巨人が鹿野山から矢を放ち、その時に「石射たろう」と叫び、その言葉から石射太郎山になったそうです。台田久保が狙った山は石射太郎山だったかは分かりませんが、石射太郎山はイカツい岩峰を成し、遠くから見ると狙いたくなるような岩山だったのかもしれませんね。しかし、なぜ「石射たろう」と叫んだんだろう?
案の定、石射太郎山はこのような岩峰で、見るからに恐ろしい姿を成しています。
このような山容なら遠くからでも目立ち、矢を放ちたくなるのでしょう。そうかなぁ?


その石射太郎山山頂に至る途中には見るからに人工的に切られたであろう岩壁が出現します。実は石射太郎山もかつては石切り場、いわゆる石丁場としての歴史があり、関東大震災前の明治初期から大正初期にかけて大量の石が切り出されたそうです。
また、この丁場には不思議な箇所があり、登山道から外れた丁場には、丁場によってできた池があるのですが、そこにはなんとフナが泳いでいるとの事で、実際に見てみると本当にフナが泳いでいるそうです。まぁ誰かがいたずらで放したと思いますが、そこの池に行くにはかなりの急登と急下りを経てようやくたどり着けるところなので、本当にいたずらかどうかも怪しいです。
そのフナが泳いでいる丁場に向かおうと思ったのですが、時間が迫っていたため断念しました…


石射太郎山から先は緩やかな登山道が続きます。
特に急な箇所は無く、比較的歩きやすい道が続きます。
途中、ビューポイントもあり、今回は見えませんでしたが富士山と東京湾を眺められるポイントもあります。天気がいい日に眺めてみましょう。
巨大岩壁に吸い付く高宕観音堂の全貌
石射太郎山から歩いて40~50分ほどで、高宕観音堂の参道に到着します。
正面を眺めると長い階段が見えますね。ここから先はお寺の境内という事になるので、気を引き締めて参りましょう。
しかし、神社ではないのに狛犬なのは少し違和感があります。狛犬があるのなら鳥居があってもおかしくない光景ですね。
おや?狛犬の奥には石像が二体ありますね。これは仁王像でしょうか?


近くで見ると全身苔で覆われ、阿吽の口は分かるのですが、表情がよく分かりませんね…
しかし、狛犬と仁王像が共に安置されている光景はなかなか見ないと思います。まぁ神仏習合なのでこのような光景も全国で多々あるでしょう。
階段は急で幅も狭く登る時は注意しながら登りましょう。
不揃いな感じで危険な感じもしますが、いかにも山寺の階段という趣のある景観が何ともたまりませんね。
そして階段を登りきると遂に、高宕観音堂に到着します。
ご覧の通り堂宇が見事に後ろの岩壁と合体していますね!これがいわゆる投入堂と言われる珍しい建築物で、まさに堂宇ごと投入れたのではないかと思うほど迫力のある光景です。
詳しい由緒は書かれていませんでしたが、看板によると奈良時代に行基菩薩がこの山に入山し、多くの人にご利益を施そうと観音像を彫刻したそうです。そして後に源頼朝が石橋山の戦いに敗れ安房に逃れた際、黄金に輝く観音像を写し刻み肌身離さず持ち、鎌倉幕府を開いたと伝わっています。
実際にこの観音堂には黄金に輝く観音像が安置されており、観音信仰は古くから民衆に親しまれる仏で、苦厄を救済してくれるご利益があると信じられ、多くの方から救いを求められた仏様でもあります。全国にはご存知の通り観音霊場というものがあり、四国八十八か所のように三十三所巡礼という観音信仰の霊場巡りも民衆には流行った事は有名ですね。この観音堂は霊場巡りの札所に数えられているか分かりませんが、それでもかつては参詣に訪れる人が多かったとの事です。
反対側から見てもしっかりと埋め込まれている造りになっているのが分かりますね。
実はこの観音堂は中に入る事が可能で、正面と横の扉から中に入れるようになっています。
中を覗くとうす暗いですが、扉を全開にすると堂宇の内部の様子が分かります。
奥には観音様が安置されている祭壇があり、中央には隙間から黄金の観音像がちらりと見えました。しかし、両サイドにはお榊が供えられ、神棚のようなになっているのが気になりました…お榊も新しいので、ひょっとしたら定期的に掃除やお供えをしているのかもしれませんね。また、奥に注目すると岩壁が削られ、かつてはこの窪みに安置されていたと思います。参詣者が増え、観音様を安置するお社、更に観音様を守るために立派な堂宇が造られたのではないかと想像できますね。
堂宇中央の扉の右端に高宕山の復旧と御開帳記念の分厚いファイルが置いてありました。
中を拝見すると、台風の被害で破損した堂宇の復旧活動や自然災害により登山道の破損個所の修復作業の写真が載っていました。
写真は多くの人が堂宇の復旧作業に関わっている様子が撮られ、このような山奥の寺院にもかかわらず、必死に修繕する様子が伝わります。そして何より作業している方々の笑顔が素晴らしく、本当にこの高宕観音堂を崇敬し、高宕山の自然を愛している様子も伝わりました。また、修復作業以外にも四季折々の登山道の様子や山頂からの大絶景の写真も多かったです。
この堂宇の面白い所は、回廊を歩くと奥が洞窟のようになっていて、恐る恐る覗いてみると、どうやら反対側の回廊に繋がっている様子でした。なぜこのようの造りになっているのか分かりませんが、どういう事でしょうか。


また、周辺には別の観音像や窪みには石仏、石碑が安置され、岩壁を眺めると所々に小さいながら窪みも確認できます。やはりかつては活発に霊場巡りが行われていたのではないかと思われます。
先ほどのファイルの隣に、失われた狛犬が発見された!という写真があり、その狛犬その狛犬がこちらです。写真には先ほどの長い階段からみんなで狛犬を引き上げる姿が写されており、かなり大掛かりな作業であった事が写真を見て分かりました。
引き上げられた狛犬の後ろには狛犬の相方引上げ記念という看板も立てられていますね。
もう一箇所気になるところがあり、それがこの石塔です。この石塔は下の狛犬から続く長い階段の途中にあります。この石塔は三重塔で、関東では珍しい造りだそうです。
写真で見るとまるで大きな波に飲み込まれるように感じます。
また、正面から見ると後ろの岩があるもの見える事に後から気づきました…
改めて見るとこの岩壁…なんか人間の肋骨に見えませんか?
考えすぎかと思いますが、私には見れば見るほど肋骨に見え、岩に巨大な骸が埋め込まれているような…そんな光景にも見えてしまう。みなさんにはどう映りますか?
最初に紹介した高宕観音堂は登山口から1時間程度歩かなければたどり着けない寺院です。現在は登山口まで車で行けますが、かつては近郷から時間をかけて歩かなければならなかったはず。観音信仰の1つでもあるこの観音堂は昔ほど参詣者は少ないものの、一度被害に遭えば今でも多くの方の力により堂宇を復興する様子が伺えます。時代が変わっても高宕観音堂に対する思いは受け継がれている事が訪れてみてよく分かりました。
場所及び駐車スペース
館山自動車道富津中央ICから国道465号経由、約35分で登山口に到着。
登山口から1時間ほどで高宕観音堂に到着します。
登山口に無料駐車スペース有り。
10台程度駐車可能です。
寂光山山頂直下にある寂光不動尊
寂光不動尊までの道のりとその全貌
高宕山と反対側に位置する寂光山には見事な懸造の不動尊があるとの事で、高宕観音堂の後に訪れました。
その寂光不動尊は国道410号沿いにある寂光不動尊入口という石碑から入ります。
入口から先はのどかな集落が続き途中林道になりますが、現在は車の進入が禁止となり、林道入口から徒歩で向かう形になります。
林道入口には車を停めるスペースがあるので、車はそこに停め、不動尊までは林道をひたすら進みます。
林道は緩やかな登りになり、入口から寂光不動尊までは徒歩20分くらいです。
登りきると寂光不動尊の入口に到着します。
最初間違えて左に歩いてしまいましたが、これは右が正解なので注意。
左に行くと登山道になってしまうので、寂光不動尊のみ訪れる方は右へ進みましょう。
この階段を登りきると目的の寂光不動尊に到着します。長そうな階段ですが、実際はそこまでの長さはありませんので安心して登る事ができます。
そして登りきると目の前に巨大な岩壁と寂光不動尊が現れます。
寂光不動尊は壁に開いた岩窟にすっぽりと収まる形で建てられている様子が分かります。
近づくと堂宇は少しやせ細った柱で支える形になっていますが、やはり投入堂の中でも懸造建築は見る者を圧倒させる力強い建造物である事が目の前にしてよく分かります。
由緒によると第118代、後桃園天皇の御代に旅名村では疫病が流行し、この地にある案養山光明寺の住職の夢枕に立ち、巽の方向に寂光浄土あり、その地に不動明王を祀れば疫病災害退散、五穀豊穣の御利益をもたらすとのお告げを受け、村人と共にこの地に堂宇を建てたそうです。つまり、寂光不動尊は江戸時代後期と意外に最近で、江戸時代の行者たちに支えられていたことが分かります。
もちろん堂宇の中にも入る事ができ、正面の岩壁には一体の不動明王像と手前には祭壇が設けてありました。不動明王には安永7年と書かれ、寂光不動尊の創建と同じ時期にこの不動明王も完成されたのですね。不動明王は250年くらい前のものですが、妙に綺麗で破損個所も無く保存状態がかなり良い方だと思います。
不動明王の左隣には剣が奉納されています。よく見ると木でできた剣ですね。不動明王には剣が奉納されているのを度々見るのですが、木でできた剣は滅多に見ないと思います。
江戸時代後期の創建ですが、その後明治十五年に再建と書かれていたので、現在の堂宇は明治期のものである事が分かります。また、山頂には寂尊大権現が祀られ、壮大な景色を堪能できると書かれていました。つまり、山頂にも宗教施設があるという事になります。これは興味深いですね。
ちなみに堂宇の奥も岩壁が続き、奥まで行けるのか、山頂へのルートがあるのかなど調べてみましたが、どうやら奥には繋がっていない様子でした。また、堂宇周辺の地面は妙に砂が柔らかく、まるで砂浜を歩いているようなサラサラの砂になっていました。
由緒に記された寂尊大権現が祀られている山頂はどこだ?
さて、堂宇の調査はこれくらいにしますが、どうしても山頂に祀られている寂尊大権現というのが気になります。地図で確認するとちょうど堂宇の真上辺りが寂光山山頂らしいので、ここまで来たら何としてでも行ってみたいです。
しかし、実際に堂宇の周囲を見渡しても山頂への案内や標識も無く、道は無いのか?と探していると…
階段の脇にトラロープを発見しました。
よく見ると薄ら踏み跡というか道のようなものも確認できたので、ひょっとしたらここに違いない!と思い、トラロープ方面に向かいました。
トラロープをトラバースする形で進むと、大きな岩場に差し掛かります。
位置的にこの岩場を登る形ですが、周囲にルートはないか探してみても見当たらず、思い切ってこの岩を登りました。
途中両サイドが切れている箇所もありますが、注意しながら進めば特に問題ありません。しかし、ルートミスの可能性もあり、若干の不安もありましたが…


と、ナイフリッジを越えると何やら祠が見えました!どうやらここが寂光山山頂らしく、木には寂光山と書かれた標識もあったので、ここが正解です。
祠は手前と奥にありますが、中を覗くと特に幣束や石仏らしきものは無く、特に奥の祠の周辺は酷く荒れていました。
奥の祠に注目すると、石の台座のようなものがあり、恐らくこの上に寂尊大権現が祀られていたのではないかと思われます。
祠の周りには細い竹のようなものも確認できます。そういえば以前群馬の西上州にある岩山の山頂でもこのような設えを見た事があり、それに近い形になっています。
先ほどの由緒には山頂には寂尊大権現の他に二柱の神が祀られていると書かれ、そのうちの一柱が天狗、もう一柱は不明だそうです。手前の祠は天狗が祀られていたのかな?しかし、その不明?っぽい神様が祀られている祠は見つかりませんでした。


祠に注目すると、お賽銭が奉納されていましたが、よく見てみるとなんと!寛永通宝と文久永宝でした。これらは江戸時代の貨幣ですが、私の今までの登山経験から山に祀られている祠や寺社でこのような貨幣を見た事がありません。今現在このような貨幣があるという事は恐らく当時参拝に来られた方のお賽銭という事で、何百年もの間この貨幣がお供えされていたという事ですね。
今現在これらの貨幣が残されている事は、山頂に来られる方が少なかったという事か、あるいは山頂の寂尊大権現を秘密にしていたのかは分かりません。しかし山頂への道もほとんど分からない状態なので、元からあまり知られていなかったのではないかと思います。
寂光不動尊は「房総の投入堂」とも言われ、全国の投入堂においてはレア度の高い堂宇の1つです。ましてや山頂の存在もあまり知られていないとなると、益々秘境度の高い史跡と言ってもよさそうな気がします。本来なら車でたどり着けるものの車両通行禁止になっているは残念ですが、徒歩でも十分に行ける範囲なので、ぜひ「房総の投入堂」と山頂の今は無き秘密の大権現跡に触れてみてはいかがでしょうか。
場所及び駐車スペース
館山自動車道富津中央ICから国道465号経由約45分で駐車スペースに到着。
林道封鎖の為、駐車スペースから徒歩約20分で寂光不動尊に到着します。
集落にひっそりと残る岩見堂やぐら
場所は海沿いの富津市に移り、相川という集落にも岩と一体化した素晴らしい堂宇があるそうです。こちらの堂宇は岩見堂やぐらという名前で、富津市の指定文化財に選ばれているそうです。目の前には相川という川が流れ、周囲を岩山で囲まれた集落になっています。入口にはしっかりと看板が立てられ、観光スポットとしてもウェルカムな雰囲気です。


入口の階段は数段はコンクリートですが、登ってすぐにこのような苔がたっぷりこびりついた趣のある階段になっています。こういう階段いいですね~
入口から1、2分で目的の岩見堂やぐらに到着です。この岩見堂は投入堂というより堂宇が岩壁と完全に一体化しているように見えますね。
反対側から写真を撮ろうとしたのですが、左奥は崖になっていて上手く撮影する事ができません。撮影する時はあまり無理しないようにしましょう。
正面も幅が狭く、全体像を撮るのは困難な状態になっています。
この岩見堂は元々はやぐらだったそうで、規模も富津市域の中では一際大きく当初の建造は中世だそうですが、近世に大規な改築が行われたとの事です。また、やぐらとは横穴式墳墓の事で、鎌倉時代から神奈川の鎌倉を中心に三浦半島や安房国にも見られ、大半は鎌倉が多く分布しているそうです。恐らく当初はやぐらとしての機能を果たしていましたが、後に仏堂としての性格が色濃くなり、中には石仏や観音像などが安置されています。
残念ながら岩見堂やぐらの中には入る事はできず、扉は正面と側面に付いていますが、カギがかけられています。しかし、正面の扉にはお賽銭を入れるための穴が開いてあり、そこから中の様子を見る事は可能でした。
中を覗いてみると意外に天井は低く物凄く圧迫感のある空間で、正面の厨子の中には銅造十一面観音立像が安置されています。しかし普段は閉じられている事から御開帳があったりするのでしょうか?
その左には石仏群があり、これらは江戸時代前期の石仏だそうです。ちなみに左の壁には五輪塔が描かれているそうですが、確認してもそれらしきものは見えませんでした。近くで見ないと確認できないのでしょうか。


堂宇の右隣は荷物置きのスペースになっています。屋根から堂宇の側面まで見事に一体化されている様子が分かり、ここまで来ると匠の技ですね!


ちなみに岩見堂の先のも道があり、進んでいくと広い畑に到着します。岩見堂周辺は純粋な集落の中のやぐらという事になります。
岩見堂はやぐらとしての機能を果たし、後に仏堂としての性格が強くなり現在に至っています。中に入る事はできませんが、今も投入堂の姿をしっかりと残されており、見る人を感動させる事でしょう。入口から歩いて数分の所にあるので、気軽に立ち寄る事も可能になっています。
場所及び駐車スペース
館山自動車道富津竹岡ICから車で約8分。
入口手前に駐車スペースがあります。
~番外編~富津市海岸にある謎の岩窟神社
最後に訪れたのは富津市海岸にある謎の岩窟神社を訪れました。国道127号沿いにある切通しトンネルで有名な東善寺近くにある津浜海水浴場方面へ車を走らせると、岩窟神社の近くに到着します。
投入堂ではありませんが、不思議な神社だったので最後に紹介したいと思います。
車は海水浴場の近くにあるスペースに停め、そこから神社まで歩いて行きます。
整備された土手を歩きますが、景色は素晴らしく正面には東京湾観音の立派な姿が確認できます。東京湾方面を望むと三浦半島もよく見えました。
車を停めたところから歩いて1分くらいで神社に到着します。
見上げるとこれまた巨大な岩壁が立ちはだかり、まるで威圧するかのような風貌を成しています。岩は中心が割れ、中に入れるような造りになっており、その入口に赤い鳥居が立てられています。早速入ってみましょう。
入口から中を覗くと漆黒の闇ですが、実は入口にライトのスイッチが取り付けられていて、押すと一気に明るくなります。何も分からずヘッドライトを持参しましたが、必要なかったですね。
入ってすぐに直角に曲がると奥に続きますが、トータル20mくらいでしょうか?そこまで奥行きはありません。


そして奥の岩と岩の間に小さな祠が祀られていました。どうやらこれが神社のようで、何が祀られているかは分かりませんが、非常に神秘的な空間が漂います。お供え物と賽銭も多く捧げられ、定期的にお参りに来られている様子も伺えます。祠の奥には隙間があり、覗いてみるとまだ先が続いているようでした。
ちなみに洞窟は見上げると天井が高く、奥行きもどこまで続いているのか分かりません。
グーグルマップには「海の神社」という名前で登録され、その名の通り目の前が海の洞窟にひっそりと祀られた神社です。御祭神名や由緒が書かれた看板もなく、地元の人たちによって日々拝まれている感じでした。しかし、海沿いの神社なので恐らく渡航安全や豊漁祈願の為に祀られたのではないかと思われます。
そういえば江の島にも海沿いに洞窟があり、「江の島岩屋」と呼ばれているそうですね。あちらの岩屋は富士山まで繋がる伝説があり岩屋内も様々な工夫が施され、観光スポットとしての洞窟になっています。
しかし、今回訪れた海の神社は江の島岩屋ほどの規模は無く、観光スポット的な神社ではありませんが、地元の方によって支えられてきた神社である事を肌で感じました。
場所及び駐車スペース
館山自動車道富津竹岡ICから車で約6分。
津浜海水浴場に駐車スペース有り。
駐車スペースから徒歩1、2分で神社に到着します。
最後に
いかがでしょうか?
今回紹介した投入堂や洞窟の神社はほとんど紹介されていない穴場スポットで、たどり着くまでに多少の時間を費やすところもありますが、どれも訪れる価値のある場所です。
全部で4箇所紹介しましたが、朝早くから行動すれば1日で周れる範囲なので、千葉県の史跡巡りをお考えの方はぜひご参考ください。