8月は毎年恒例の富士登山に行って参りました。
今年はお盆真っ只中の12、13日が休みだったので、12日の昼間は富士山周辺を観光し、夕方に吉田口から富士山を登り始め、13日の朝ご来光を拝んでから下山する予定を立てました。
12日は天気も良く各観光地は大混雑であり、恐らく人穴も観光客で賑わいを見せるのであろうと思っていましたが、実際に到着してみると誰もおらず、私一人だけぽつんと佇んでいました…
今回の人穴見学は実は2回目であり、前回は人穴の洞窟に入ろうとしましたが、予約を取らないと入れない事を知らなかったので人穴内部に入れませんでした。
なので今回はきちんと予約を取り、ガイドさんと共に人穴の見学を行いました。
人穴は富士信仰の祖である長谷川角行が修行を行った場所であり、富士講にとっての聖地でもあります。
今回はそんな富士講の聖地である富士講遺跡や人穴の内部の様子、更に見学をする際の注意事項をお伝えしたいと思います。
- 人穴のアクセス、駐車場
- 人穴富士講遺跡とは
- 人穴の見学に関する注意事項及び詳細
- いざ人穴富士講遺跡へ!
- 溶岩洞穴、人穴内部へ潜入!
- 神仏習合の名残!?歴史から消された大日堂
- 富士信仰をもっと知りたい方におすすめのスポット
- 最後に
人穴のアクセス、駐車場
アクセス
車の場合:新東名の新富士ICか東名の富士ICを降り、国道139号を北上し、猪之頭入口を右に曲がり、県道71号沿いに駐車場が見えてきます。(インターから約50分)
電車の場合:JR身延線富士宮駅から車で40分
※人穴の住所:〒418-0102 富士宮市人穴206
駐車場
入口の鳥居の横に無料駐車場が有ります。
普通車は7、8台くらい停められると思います。
大型バスの駐車スペースも有りました。
人穴富士講遺跡とは
富士山は御承知の通り平成二十五年にめでたく世界遺産に登録され、それに伴い毎年多くの方が富士山を登るようになりました。
また、富士山の世界遺産は山そのものだけでなく、周辺の自然や神社、遺跡群なども世界遺産に登録されており、今回訪れた人穴富士講遺跡も信仰の対象として世界遺産の一部になっています。
人穴は富士山を中心に西南録の富士宮市に位置し、富士山の新富士火山旧期溶岩に属する犬涼み山溶岩流によって出来た溶岩洞窟の一種です。
洞穴の長さは83.3mとなっていますが、更に奥まで続いていると信じられ、伝説によると神奈川県の江ノ島まで続いていると言われています。
また、「人穴」の名前の由来ですが、この穴に人が籠って修行を行っていたから「人穴」と名付けられた説や太穴が訛って「人穴」になった説もあるそうです。
人穴が初めて歴史書に登場するのは鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」であり、源頼家による富士の巻狩りの際、仁田四郎忠常が将軍の命令により人穴を探索したと記されています。
郎党と共に人穴に潜入した忠常でしたが、立て続けに郎党が死んでしまい、これに恐れを成した忠常は何とか死を免れて戻る事ができたそうです。
そこで地元の古老に聞いてみると、人穴は浅間大菩薩の御在所であると語られ、すでに富士信仰の場である事を物語っていました。
そして、戦国時代末期には富士信仰の開祖となる長谷川角行が人穴内部で千日の修行を行い、仙元大日神より富士信仰の教えを解き、その教えが弟子たちに広まり、講へと発展しました。
やがて、人穴は長谷川角行が修行し入定した場所として聖地化され、多くの講社が人穴の参詣に訪れ、周辺には各講の人たちによる碑塔が建てられるようになり、現在の光景に至っています。
人穴の見学に関する注意事項及び詳細
ここで、人穴を見学する際の注意事項をお伝えしたいと思います。
かつては(世界遺産になる前)碑塔群並びに人穴内部の見学は自己責任という事で完全に自由でしたが、世界遺産に登録された事により、洞穴内の安全確保を考えた上で整備が行われたそうです。
そのため、人穴内部に入る際にはガイド同行のみの見学となりました。
ちなみに、人穴内部に入らない場合(碑塔群のみの見学)はガイド無しでいつでも見学は自由です。
入場料及び見学時間ですが、入場料は完全無料で、見学時間も特に設けておらず、いつでも自由に見学可能との事です。
人穴入洞の際は予約が必要
碑塔群はいつでも自由に見学出来ますが、人穴入洞を考えている方は入洞の予約が必要になります。(入洞も無料です)
案内可能な日は土日祝日と決まっており、更に時間帯も10時、11時、13時、14時の4回と定められています。
予約の方法としては…
・富士宮市市役所6階の文化課窓口に直接申し込む
・電話での申し込み
の二つになります。
地元の人以外は市役所に行くのは大変なので、基本は電話での予約になると思います。
人穴の見学の詳細及び予約に関する事項は富士宮市のホームページをご覧ください。
当日の流れ
ここで、当日の受付から見学までの様子をお伝えします。
遺跡群の入口にはこのような建物があり、中で受付を行います。
中はテーブルと椅子があるので、ガイドさんの指示に従い、見学の準備が出来るまでここで待ちます。
始めにこのようなアンケートが渡されるので、記入をしましょう。
30秒くらいで終わる簡単なアンケートです。
待合室には富士山や富士講の歴史等の説明が書かれたパネルが展示してあります。
ガイドさんが人穴を確認している間に事前学習をしましょう。
ちなみに、入洞前に少し時間があったので、ガイドさん直々に富士講の歴史や人穴について詳しく説明してくれました。(貴重な資料も見せてくれました)
時間が近づくと、入洞の際の注意事項が説明され、洞窟内はヘルメット着用が必須なので、ライト付きのヘルメットが渡されます。
また、足場もそこまで良くないので、サンダル等を履いている方は注意が必要です。出来る限りスニーカー程度の履物で入洞したいものです。
※当日の見学の順路ですが、
碑塔群に到着しそこで軽く説明→人穴入洞→再び碑塔群に出て見学→終了
という流れでガイドさんと共に見学します。
所要時間は約1時間くらいです。
いざ人穴富士講遺跡へ!
受付の建物で説明を受けた後はいよいよ遺跡へ向かいますが、ここで、最初の入口から見ていきたいと思います。
ここが、正面の入口です。
鳥居が建てられているので、遺跡というより神社のように感じます。
鳥居を潜ると、受付の建物が見えてきます。
建物の手前には車を停められるスペースが有りますが、ここはガイドさんの駐車スペースなので、くれぐれもここに車を停めないように、鳥居横の一般駐車場に停めましょう。
さて、いよいよ遺跡へ向かいます。
ガイド同伴の際はここから出発となります。
綺麗に整備された階段を登ります。
階段はそこまで急ではありません。
登りきるとそこには墓石のようなものが並んでいます。
一見、墓石のように見えますが、これらは富士講によって作られた碑塔です。
目的としては教祖や先達、などの追善供養として、富士登山や大願成就の顕彰記念として、更に碑塔の他にも石灯籠や玉垣などの奉納もされているそうです。
碑塔は講ごとに分かれて造立され、1基だけから数基のものまで様々な形の碑塔が確認出来ます。
碑塔群の中で一際大きく立派な姿を見せるこの碑塔は、富士信仰の祖と言われる長谷川角行の墓所とされています。
現在人穴参詣が確認されている扶桑教と冨士教がこの墓所の前で祭礼を行っています。
富士信仰の祖である長谷川角行は富士山麓の人穴に籠り、厳しい修行を重ね富士信仰の教えを説き、やがてその功績が江戸で評判となりました。
そして、江戸八百八講と言われるほど富士講は発展しましたが、民衆により多く広まったのは、長谷川角行から六世の弟子である食行身禄と村上光清の二人の行者の影響が大きいと言われています。
特に支持を受けたのは食行身禄で、身禄は四民平等を旨とし、更に修験道における女人の登拝禁止を打ち破り、男女平等の思想から女性の登拝も解禁し、女性も救われる存在であると説きました。
このように身禄本人は地位や名誉にとらわれず、ただひたすら民衆の為に行を積み最後は富士山で一ヶ月の断食修行を行い、後に民衆救済を願いながら入定したそうです。
やがて食行身禄の入定が江戸中に広まり、身禄の生き方に多くの感動や話題を呼び、この伝説を広めた御師たちの努力により富士講は爆発的に広がりました。
一方、村上光清は食行身禄と同じく長谷川角行から六世の弟子で、村上の名が知られるようになったのは北口本宮浅間神社の改修や石燈籠などの寄進によって貢献された事です。
また、村上系は身禄系の内的信仰や説教主義ではなく、加持祈祷を中心とする呪術的な面が強い系統だったそうです。
荒廃していた社殿を改修したり、多くの寄進をされていた影響でしょうか、村上講の碑塔群は他の講社とは違い、碑塔の周りには玉垣が建てられています。(後ろの碑塔群)
恐らく村上講は裕福な講社であった事が想像できると思います。
碑塔群の様子
人穴に碑塔を造立された講は約50程ですが、現在活動されている講社はほんの一部との事で、活動されていない講社の碑塔もそのまま残されているそうです。
碑塔群の奥には展望場があるので、そちらにも案内されました。
雲っていたので富士山は見えませんでしたが、晴れていれば碑塔群と共に富士山を眺められるそうです。
恐らく、参詣を終えた後に富士山を遥拝していたのではないでしょうか。
溶岩洞穴、人穴内部へ潜入!
さて、いよいよこれから人穴の内部に入ろうと思います。
このブログでは先に碑塔群を紹介しましたが、当日は人穴内部の見学が先です。
洞穴の上には浅間大神の石碑が立てられています。
浅間は本来「あさま」と呼ばれており、「あさ」が火山の噴火を意味し、後に「せんげん」と呼ばれるようになりました。
入洞前にガイドさんからヘルメットとライトの確認が行われます。
実はライトはヘルメットに着いているのですが、このライトもの凄く光が弱いです…
見下ろすと、ぽっかりと穴が見えます
あんな所に入るとなると、少々不安に感じると思います。
そんな不安を抱きながら内部へ向かいます。
入口の階段は意外に急で、ロープが垂れているので不安な方はロープを持って下りましょう。
階段を降りたところは特に注意が必要です。
ここは少しかがまないと頭をぶつけるので慎重に。(私はぶつけました)
狭い入口を抜けるとこのような広い空間に到着します。
内部はライトを付けないと恐ろしいほど真っ暗で、もし一人で入るとなると、かなり勇気が必要なくらい漆黒の闇です。
ちなみに、人穴の内部はこのようになっています。(受付のところに展示されています)
奥は60mくらいでしょうか。
内部には石仏や石碑が祀られているようで、世界遺産以降は残念ながら最奥までは行けず、赤の丸印の所までしか行けません。
丸印の所から辛うじてコノハナサクヤヒメの石像が見えるくらいです。
さて、再び内部を紹介しましょう。
入口のすぐ横には角ばった石仏が祀られています。
屋根も付けられているので、大切にされているんでしょうね。
広い空間の右奥には扶桑教が建てた石碑があります。
先ほど説明した通り、人穴参詣は現在扶桑教と冨士教のみ行われていますが、人穴の中での参詣は扶桑教のみ行われています。
そう、実際この暗く寒い中、長谷川角行が実際に修行を行った場所で扶桑教の方達は祭儀を執り行っています。
実際に見てみたいものです。
広い空間の左には崩壊防止のためでしょうか?
補強された通路が設けられ、奥に続いています。
ここで注意して頂きたいのは非常に天井が低く、ご覧の通りかがんで歩かなければなりません。
更に、奥に行くほど冷気を感じ、非常に涼しいです。
先ほどの丸印の所までやってきました。
今現在ここまでしか行けない最奥の場所です。
実際は奥に続く道が有りますが、残念ながら立ち入る事は出来ません。
さて、奥を見ると非常に見えにくいですが、あそこにコノハナサクヤヒメの像が祀られています。(ガイドさんが懐中電灯で照らしている隙に撮りました!)
ちょっぴり拡大
写真を更に拡大すると、ピンクの布らしきものが見えます。
今更ですが、最初にヘルメットとヘルメットに取り付けたライトで入洞しましたが、実際このライトは手元や足元を照らすのみで、奥の方まで光は届きません。
辛うじて写った写真も実はガイドさんが手に持っている懐中電灯の光のおかげで何とか写っています。
なので、ご自身で石碑や石仏を照らして見たい方は懐中電灯か若しくは登山などで使用する専用のヘッドライトを持参した方が良いのではないかと、見学して思いました。
補強された通路が作られたにも関わらず、何故電気を付けないのか疑問に思いガイドさんに質問しましたが、ガイドさん曰く、洞窟内に電気を点けて明るくすると、洞窟内ヒカリゴケや貴重な植物の生態系を崩しかねないとの事でした。
やはり、世界遺産の一部だけであって、そのところはシビアに考えているんだろうなと思いました。
そして何より、富士山は世界文化遺産なので、富士山の歴史や信仰に関わるものは、ありのままの姿で感じ取ってほしいという願いが込められているようにも感じますね。
神仏習合の名残!?歴史から消された大日堂
人穴のすぐ横には人穴浅間神社が建てられています。
この浅間神社は実は明治の神仏分離の際に建てられた神社で、明治以前は富士山も信仰登山として、修験道の影響を受けていました。
そのため、富士山の山頂には神仏習合の世界が広がり、それに伴い大日寺が建てられ、山頂周辺には多くの石仏も祀られていたそうです。
また、山頂の火口周辺の尾根にはそれぞれのピークがあり、それらの名前も仏教にちなんだ名前にされていましたが、明治以降は仏教的な要素を排除するために、各ピークの名前も変えられました。
お鉢廻りをすれば分かると思いますが、現在の山頂は神社として鎮座され、火口周辺には石仏も確認する事は出来ない状況になっています。
お鉢廻りの様子を知りたい方はこちらをどうぞ↓
明治以前までは神仏習合に伴い、麓にも多くの大日堂が建てられ、ここ人穴にもかつては大日堂が建てられていましたが、山頂だけでなく麓にある大日堂も浅間神社とされました。
さて、大日堂跡の前に、少し神社の御祭神の説明をしましょう。
この人穴浅間神社ですが、現在は神様のみ祀られたお社として鎮守され、御祭神は木花咲耶姫、徳川家康、長谷川角行であり、浅間神社の御祭神である木花咲耶姫と共に人穴にゆかりのある二人が祀られています。
史実ではありませんが、家康は甲斐武田氏を攻める際に逆に追われるというピンチを迎え、その時に人穴に逃げ込み角行と遭遇し、富士信仰の教えを得たとされています。
家康自身も浅間大社に多く寄進したり、更に幕府は富士山の八合目以上を現在の富士本宮浅間大社の境内地として認めるなど、いかに家康は富士山を崇敬していたことが分かると思います。
そのため、多少の疑いなどはありましたが、角行の教えや功績が認められ、家康を救ったなどの噂も広まり、このような伝説も作られたと思われます。
なので、長谷川角行と共にこの人穴浅間神社には家康も祀られていると考えられます。
さて、大日堂跡を訪れる事になったのは、受付時にパネル等を眺めているひと時に、ガイドさんから人穴には浅間神社ではなく、元は大日堂が建っていたと聞き、更にその跡がかすかに残っているという事で、これはぜひ訪れたい!と思ったのがきっかけです。
そして展望場見学の後、恐る恐る頼んでみたところ、せっかくなので行きましょう!と快くOKしてくれました。(ガイドさん、ありがとうございます)
さて、肝心の大日堂跡ですが、位置的にはパネルの通り人穴の入口から東の方角にあるそうです。
そして、恐らくこの辺りでしょうか、かつて大日堂が建てられていた場所ですが、ご覧の通り今は面影が全くと言っていいほどありません。
注意深く周りを見てみましたが、先ほどのパネルの写真より面影は残っていません。
ただ、一つ言える事は明らかにこの辺りが平面になっている事ですね。
何か建てられたと言われてもおかしくはない、そんな感じの空間でした。
しかし、このような跡が見られました。
ここは大日堂入口の段でしょうか?
明らかに人によって敷かれた石が確認出来ます。
この石の奥が先ほどの平面になっている場所です。
大日堂の入口?の所から見下ろしました。
今は確認出来ませんが、かつては参道が続いていたのでしょう。
かつての参道を下り、注意深く下を見ると、石段のようなものが確認出来ます。
下まで降りて振り返るとちょうど中央に、幽かですが石段らしきものが続いて見えると思います。
これが明治以前の参道の跡でしょうか?
パネルにも書いてあった井戸の様子
人穴という神聖な場所に入る前にここで手水をとっていたのでしょうか?
近づこうとしましたが、身の危険を感じたのでやめました。
井戸の近くにはこのようなものもありました。
石碑のように見えますが、何だか破壊された様にも感じます。
これも神仏分離の影響でしょうか?
人穴もかつては神仏習合として栄え、大日堂が建てられていたそうですが、実のところ明確な資料や歴史書が残されていないとガイドさんは語っていました。
この人穴も排仏毀釈が行われ、仏像や仏具など仏教色となるものは一切排除されたそうです。
なので、パネルのように大日堂跡とは書かれておらず、ここに確実に大日堂が建てられていた資料も無いので、建物跡としか書きようがなかったのではないかと思われます。
富士信仰をもっと知りたい方におすすめのスポット
ふじさんミュージアム
富士山の歴史や自然、人との関わりについて知りたい方はふじさんミュージアムがおすすめです。
展示物だけでなく、映像やシアターによる解説は大変分かりやすく様々な工夫がなされ、子供から大人まで楽しく学べる博物館になっています。
【公式サイト】
御師旧外川家住宅
ふじさんミュージアムの附属施設として、実際の御師の家を見学できる施設になっています。
竜宮洞穴
人穴と同じ溶岩洞穴の一つとして存在し、かつては富士道者巡拝の霊場として栄えていた洞穴です。
現在は入洞禁止ですが、入口までは自由に見学出来ます。
観光スポット化されていない、ありのままの姿を保ち、神聖さを感じられるおすすめ洞穴なので、ぜひ行かれてみてはいかがでしょうか。
最後に
富士山は世界遺産に登録されてから登山者が増え、毎年多くの方が山頂を目指し、主にレジャーとして楽しまれている山だと思われます。
しかし、世界遺産の中でも富士山は文化遺産としての登録であり、富士山そのものだけでなく、富士山に付随する神社や遺跡、湖などの信仰や芸術による文化財が認められた事により登録されています。
富士山のような美しい形の山は実は世界中にありますが、火を吹く危険な山にも関わらず、多くの人々が富士山を信仰の対象とし、畏敬の念を抱く事は世界に類を見ない日本人ならではの考えだと思いますし、このような信仰の対象としての富士山があったからこそ、世界の宝として認められたのではないかと思います。
そして人穴富士講遺跡も富士信仰の文化財の一部として存在し、富士山に思いを馳せる人々の心の表れである碑塔群がそのままの形で残されています。
観光やレジャーとして富士山を訪れるのももちろん良いと思いますが、世界遺産としての富士山を知るために、このような史跡を訪ねるのも富士山の楽しみ方の一つではないでしょうか。
ぜひ、富士信仰の聖地である人穴富士講遺跡に足を運んでみてはいかがでしょうか。